鹿児島群像 島津斉彬〜銅像をたどる


西郷どん」では
熱演の渡辺謙さん
演じる島津斉彬

薩摩では神として祀られています。

照國神社は1863年(文久3年)、
天皇から照国大明神の神号が受け、
翌年に藩内有数の大寺院であった
南泉院跡に社殿が建てられ、

のち照国神社となった。

斉彬の治世はわずか7ヶ年間、

ただ藩内のみならずその事績、
神社設立の運動が起ったそうです。



こちら神社前の献木「斉鶴」、
寺院でよく見られる
イヌマキ」という木。

樹齢約170年だそうです。

実は県民からの一般公募によって
「斉鶴」と命名されたもの、
祭神の「斉彬」にあやかり、
鶴の形を意味しています。
ちなみに鹿児島では、
「イヌマキ」は「ヒトツバ」と
呼ぶそうです。


銅像は1917年(大正6)、
朝倉文夫によって作製。

とにかく台座が立派なので…
ちかづくとまさに仰ぎ見る。



島津家家紋の「丸に十字
そして斉彬が携わった
偉業を彫刻レリーフに…
農業生産の向上[米俵]
富国強兵[反射炉]
殖産興業[昇平丸と薩摩切子]
世界視野[地球儀]
横に立つのが…
戊辰之役戦士顕彰碑
1868年京都鳥羽伏見で
薩摩長州両藩が
幕府討伐の戦端を開いた、
翌年5月函館五稜郭の
幕府軍を降した戦い。
薩摩から8千余名の人々が参戦、
6百名をこえる戦没者と
多くの戦傷者を出しました。

斉彬は西郷、大久保をはじめ、
優秀な人材を身分や藩を越えて
登用した人でした。
外国の脅威に屈しないだけの
武力を備え、国力充実に邁進。
時代に
「たられば」はありませんが、
志半ばの急死は、
大きく時代を揺るがした事。
しっかりと照國神社からも、
認めることができます。
回廊にはパネル展示


入口にある大鳥居。
1929年の建設で、
1928(昭和3)の
御大典記念で建立。

そばにある
巨大な鳥居は、功績の象徴」、
高さが19.8メートル、
ただ説明板には斉彬の功績が
綴られていて…
「巨大な鳥居」については
説明が見当たりませんでした。

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