ザ・船場な戦後ビル⑤

「船場な戦後ビル」第4回
御堂筋より西側 四丁目



京阪神不動産瓦町ビル」1962年

 中央区瓦町4丁目2
1999年に改修された
日建設計設計のテナントビル。

瓦町通沿いの馬のレリーフは、
戦後間もない1948年、
阪神競馬場」設立された会社の
ビルだった名残なのだそうです。
植木茂さんの手によるもので、
日本における抽象彫刻の
パイオニアだった植木茂さんは、
木を中心に鉄やブロンズなど
さまざまな素材を用いられたとか…

仁川の阪神競馬場
1955年にJRAへ譲渡されるまで、
ここの会社が持ち主だったのです。
なぜ馬が彫られたのかには、
こんなエピソードがありました。
水平連続窓をぐるりとまわし、
アルミの金属色を活かした腰壁。
奥まった部分に白タイルで
素材に差をつけ水平線を強調、
日建設計の仕事だと見る人が
見ればわかるそうです。
低層部にステンレス

上層階にアルミを用いる
金属の使い分けは、
塔屋には
アルミのダイヤモンドパネル
見上げてもよくわらなかった(笑)。
御霊筋側にも角地があり、
少し丸くセットバック。


ヤマイチビル」 1966年
  中央区備後町4

小規模角地ビル。

南側には北御堂があります。

柱を控えている分だけ
すこし1階の壁が奥まっていて、
2階からは三方に連続水平窓。
2階から上は角が面取りされて…
壁面はシンプルに白色の吹付仕上げ。
ガラスブロックと…
花のような模様の窓格子の金物、
手抜きのしないまさに戦後ビル。
ちなみに今はヤシノミ洗剤
おなじみのサラヤ株式会社さん。


西邦ビルディング」1965年
  中央区高麗橋4丁目

せいほう と読みます。

角地に建つオフィスビルですが、
デザインは典型的な間口型。

1階のエントランスを後退させて
ピロティーにしてはります。
バランスが取られたサイン、
ピロティ天井にも丸照明
天井埋め込まれるなど、
細部にもこだわりを感じさます。
叩き出し…

2階からは間口一杯の水平連続窓、
両端を少し突き出た袖壁で締める。

階の区切りをウォームグレー
呼ばれるモザイクタイルで
落ち着かせています。
アルミサッシは断面が細く、
レディーメードサッシ※の
初期モデルだそうです。
角地だから側面もよくみえる…
袖壁から白いモザイクタイル。

西邦産業株式会社さんは、
1805年の創業 筆墨絵具の販売から
染料問屋へと発展されました。
戦後は
石油化学やファインケミカルを
取り扱う化学品専門商社さんです。


平松ビル」1975年
  中央区伏見町4丁目

築40年を迎えているそうだが…

半地下に居酒屋、
反対に駐車スペース、
そして階段あがると歯科。

コンクリートながら
要石」風なフォルムが面白い。

日建ビル1号館」1968年
  中央区高麗橋4丁目 

日本を代表する「日建設計」の
オフィスとして建てられた。

南面は道路斜線制限があって、
斜めにセットバックしていくのが、
ロボテックスな感じ・
のようにみえるのは、
西側に集中させられた
エレベーターや階段たち。

建築当初はコンクリート打ち放し、
荒々しい仕上げでだったそうで、
かなりの迫力があったんだと…



散水栓まわりに常緑の
低木アオキには
ちょうどいいスペース。


サッシはスチール製で、
中央の大きなガラスは
開閉しないはめ殺し窓。
両袖の小窓が開くそうです。

今は「銀泉」の看板が掲げられるが、
通用口には「日建ビル1号館」。

ザ・船場な戦後ビルシリーズ、
ひろまず小休止です(・ω・)v

※レディメードアルミサッシとは?
1959年に開発された国内初の標準化アルミサッシのこと。
大量生産と品質の安定を前提とした製品開発によって、
アルミサッシの量産化が始まった。
その後市場の反響を取り入れながら改良が加えられ、
アルミサッシの品質が向上し、信頼性が高まっていった。
レディメードサッシによって市場が拡大するとともに、
アルミサッシの建材としての優れた特性が
いちやく脚光を浴びるようになった。
参考文献 「歴史を見たマテリアル」第14話
めざましいスピードで一般に普及「アルミサッシ」
  神戸製鋼所アルミ・銅事業部門販売網機関誌 

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