京都特別公開2017秋 海住山寺②


創建は天平7年 聖武天皇が
大仏造立平安祈願のため、
良弁僧正に命じて建立させ
十一面観音菩薩
安置したのが始まりとか…

本尊は等身大の立像
十一面観音菩薩立像
台座が蓮肉と反花(かえりばな)
のみとなるのは、
造られた平安中期よりも、
前の様式の金銅仏に
近いとみられます。
寺の由緒を伝える仏さま

こちらが特別公開の
「奥の院 十一面観音立像」
ふだんは奈良国立博物館に、
この期間だけ里帰りされました。



観音信仰を伝える茶釜。

本堂の前には狛犬

こちらの口には珠が…

こちら文殊堂
構造や様式からすると
鎌倉時代後期のもの。
解脱上人伝来の一切経を
安置するために建てられた経蔵。

経蔵には文殊菩薩を本尊として
祀ることが多いので、
この経蔵も経典としての役目を終え、
本尊はそのまま文殊堂と
よばれるようになったのでしょう。

本坊

紅葉を愛で…

「明皇撃梧桐図襖」
(めいこうげきごどうずふすま)

玄宗皇帝がバチで梧桐を叩き、
そのリズムと楽人たちの
笛の音に合わせて楊貴妃が
舞う場面を描いたもの。


梧桐とはアオギリのこと。
今は襖に収まっているが、
もともとは六曲屏風だったようで、
各面最上部に継ぎ紙。
裏面は江戸初期の狩野派の
西湖図」であるので、
おそらくこれも狩野派の筆だと
推察されています。





「海住山寺縁起」
貞慶、夢中にみた補陀落山浄土の
荘厳を屏風に描き写す。

貞慶が所持していた仏舎利、
金色の小仏に表れ、
春日明神となる。

貞慶入滅 前日の夜 青色の月輪現れる。

慈心上人 覚真 出家を許される

貞慶 一周忌の供養
覚真 仏舎利を五重塔に安置する。

海住山寺を信仰する男が
乗っていた商船難破するも、
観音の名号を称えて救われる。

「町石」(ちょうせき)
参道に一町(約108m)ごとに
建てられた道標。
単なる道標ではなく、
卒塔婆の意味合いもある。



願いを叶える「なすのこしかけ
なるものがありました。

茄子の花は一つの無駄もなく実を結ぶ
また「成す」と語呂が同じところから、
努力は報われ願いは叶えられるという

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