直虎をたどる 序 出世城 浜松城


直虎ゆかりの地 浜松へ

浜松駅を降り立つと
「出世大名 家康くん」
モザイカルチャーが出で立つ。
モザイカルチャーとは、
「モザイク」と「カルチャー」
の造語なのです。

欧米の広大な芝生で
植物を立体的に表現する
技法として発展したもの。
浜松市が
日本発祥地である所以は、
1999年に日本で初めて
モザイカルチャーの
世界大会の開催地になったこと。
市内には「浜松 出世の館

大河ドラマで家康 演ずる
阿部サダヲさんの金ピカの
鎧兜が飾れていました。

ウナギ・家康くん・直虎ちゃん。

ということで…
浜松鰻をいただきました!
家康の好物とされる
鯛の天婦羅」は抹茶塩で。

朝焼けの浜松城はホテルから。

引間城と呼ばれる
城があったとこは、
今もこんもりと。
曳馬城と呼ばれていたのですが、
1568年(永禄11)に
今川方の拠点であった
引間城を攻め落とします。

家康は「馬を引く」という名は、
負け戦を意味するため
縁起が悪いということで、
浜松」に改めたとか。
徳川家康を祀る浜松東照宮
建てられています。
江戸時代には 
500 社あった東照宮も、
明治維新後は廃社・合祀となり
130社ほどになったそうです。
なかでも居城跡にある
東照宮は浜松だけとか。
創建は新しくて1884年(明治17)、
ただ1945年の戦災で全焼、
手水舎には“眠り猫”がおりました。

1958年(昭和34年)に地元 
元城町尽力によって再建、
氏神として信仰されています。

なかなか見事な龍。
こちらは2015年に家康公没後 
400 年を記念して建てられた像。
三方ヶ原合戦に臨む家康。
浜松の豪族 松下嘉兵衛に出会い、
ここ引間城まで連れてこらたとき、
猿そっくりの口元で栗を食べたのが
気に入られたとか…
太閤素性記』にある、
日吉丸と呼ばれていた
豊臣秀吉16歳ころの姿です。

朝焼けに照らされてもZzzzz。

浜松城…

天守台はやや歪な四角形。

東側には付櫓(つけやぐら)
呼ばれる張り出し部分、
今は復興天守への入り口に。

第二代城主 堀尾吉晴の在城時、
1590年ごろに築かれたとか。
ただ…17世紀の絵図には、
天守が描かれず(T_T)

1958年の復興天守閣は、
天守台に比べると小さめ。
かつては、巨大なものだったと、
推察されています。

本丸の位置に立つのは、
若き日の家康」。

浜松在城は29歳から45歳まで…
ちょっとお年を召されたようにも。



こちら鎧掛松
1932年の暴風で倒れ、
現在のは1992年に
植えられたものだそうです。

浜松城からずっと東へ、
遠州鉄道「遠州病院駅」の前に、
二代将軍徳川秀忠 誕生井戸

もとは約50メートルほど
西の所にあったそうです。


出生地には説がいろいろあるとか。



ここから遠州鉄道で西鹿島へ、
いよいよ直虎ちゃんに!!

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