コンクリ寺を行くvol.3 大阪の融通さん〜藤次寺


地下鉄谷町九丁目駅に
ほど近い「藤次寺」、
藤原鎌足から数えて四代の孫、
藤原冬嗣の発願により建立。
藤原氏を治めるための建立の故、
もとは「藤治寺」と号していました。
100代を数えると真言宗の古刹です。
朱塗りの山門をくぐると、
立派な金堂。
1945年の戦災で全焼したのですが、
1960年に復興されました。
設計管理は京都大学の教授だった、
村田治郎さんと棚橋諒さん。
村田さんが意匠で、
棚橋さんは構造を担当とかで、
内陣はまるまる木で造られています。

焼失したことを忘れさせるような、
見事な再建ぶりです。

明治維新の廃仏毀釈によって、
生玉神社十坊の一つ「地蔵院」を併合、
「藤次寺」と改められ、
現在に至ります。

この寺の檀家であった、
高浜虚子の高弟の
阿波野青畝(あわの せいほ)の句碑。
大阪の前途を祝して詠んだと句、
「動く大阪 うごく大阪 文化の日」

真言宗ですので弘法大師さんが
境内に祀られていました。

大黒さんもおられました。



本堂前の香炉が
なかなかいいデザイン。





実は藤次寺のバックは、
いわゆるラブホテル街なのです。

「大阪の融通さん」としてで
親しまれるているため、
お金を融通する」に通じ、
商いをする人々から厚い信仰を
集めています。

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