倉敷で遊びょーる⑤ 第一合同銀行 倉敷支店


正面に6本、側面に3本の付柱と
ドーム型のステンドグラスのある
ルネサンス様式の銀行建築。

中国銀行の前身である第一合同銀行、
その倉敷支店として
1922年(大正11)に建てられたもの。

第一合同銀行の初代頭取は、
もうおなじみの大原孫三郎さん。
1919年に倉敷銀行・天満屋銀行・
倉敷商業銀行・鴨方倉庫銀行・
茶屋町銀行・日笠銀行の6行合併。

この時期は第一次世界大戦後の
反動恐慌が起きた頃で、
各地の中小銀行の合併が
繰り返された時期にあたります。

倉敷銀行の本店があった場所、
10ヶ月の工期で完成します。
大原孫三郎が度々訪れて
現場監督に直接の指示を与え、
異例の短期間で完成したそうです。

主要な部分はRC造ですが、
一部2階の東側部分は
木造で壁はレンガと石だとか…

設計は薬師寺主計、この頃は
大原家の建築顧問でした。

外壁は洗い出し仕上げ

半円窓にはステンドグラス、
木内真太郎の手によるもの。

煙突もみられました。

いくつかあるドーマー窓は、
デザイン優先のようで、
開閉できないようです。

「銀行営業は終了」との
張り紙がありました。
取り壊されることはない
とは思いますが…
有効活用されるよう願っています。


第一合同銀行 倉敷支店

→中国銀行倉敷本町支店→同出張所
建築年:1922年(大正11)
設計 :薬師寺主計
構造 :鉄筋コンクリート造2階建、銅板葺
所在地: 岡山県倉敷市本町1010

※木内真太郎(1880~1968)
建築現場の監督を経て、明治39(1906)年、
日本初の本格的なステンドグラス製造を始めた
宇野澤辰雄率いる「宇野澤ステインド硝子工場」の
立ち上げに参画。
大正10(1921)年に「大阪 玲光社」を設立し、
都ホテル(京都市)、大阪市中央公会堂、
萬翠荘(松山市)、岐阜県庁、
旧本多忠次郎(岡崎市)などをはじめ、
全国各地のステンドグラスの制作に携わった。

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