2016年7月31日日曜日

京都の近代化遺産ゆ〜大丸ヴィラ


京都御所西側のもうひとつの洋館。

いつも閉ざされてる
大丸ヴィラ」。



大丸社主の下村正太郎邸として
建設されたハーフティンバーの
チューダー・スタイルの洋館。

大丸百貨店店主の下村家が、
居宅として1930年(昭和5)に
建てたもの。

御所の真横にこんなもの建てるって、
かなり大胆だなと



イギリス流行ったチューダー様式、
柱、梁、筋交いなど骨組を
外部に露出したデザインが特徴です。

様式名にちなんで「中道軒
とか呼ばれていたらしいです。

木造骨組みの間を
石やレンガで埋めたのが、
ハーフティンバー様式



煙突にも細かい細工…
望遠で確認。
南側の空き地からのぞむと、
もう一つの煙突。






「大丸ヴィラ」
下村正太郎邸→中道軒
竣工年:1932年(昭和7)
設計 :ウィリアム・メレル・ヴォーリズ
    (ヴォーリズ建築事務所)
構造 :鉄筋コンクリート造3階建
所在地 :京都市上京区烏丸通丸太町上ル西側
【京都市 登録有形文化財】

2016年7月29日金曜日

京都の近代化遺産ゆ〜聖アグネス教会


京都御所の西に立つ赤レンガ、
聖アグネス教会」。
煉瓦造のゴシック様式、
そして三廊式バジリカ型?

バシリカとは
ローマの集会堂のこと。
「横長の長方形あるが、
 縦棟が付き、
 全体に十字形(ラテン十字形)を
 構成することが多い。
 祭壇方向(右)への
 集中性が顕著で、
 特にカトリックの
 ミサ儀式に適している」とか。

こんな感じってことです。
現在は、京都教区の中心となる
主教座聖堂
聖アグネス教会という地域教会
そして平安女学院の礼拝堂
3つの役割を担っています。

信徒は学校関係者に限ることなく、
信仰活動の拠点となっています。

東北角にある三層の鐘楼が特徴。

設計は立教学院 初代校長も務めた
アメリカ人建築家 ジェームズ・
マクドナルド・ガーディナー
1931年の大規模な改修で、
塔屋上の装飾や説教壇の撤去など、
時代を経ての改変はあるものの、
バラ窓やのステンドグラス
などの装飾は健在です。










「日本聖公会 
  聖アグネス教会礼拝堂」
聖三一大聖堂→
竣工年:1898年(明治31)
設計 :J.M.ガーディナー
構造 :煉瓦造り平屋
所在地:京都市上京区下立売通烏丸西入ル
【京都市指定文化財】

2016年7月28日木曜日

いざ江之子島政府へ③ 島であったころ


中之島の西端と接するところは、
堂島川と土佐堀川が再び合流、
大雨が降るたびに
洪水がおきたそうです。
大阪府西大阪治水事務所が運営の
大阪市浪速区の大正橋のたもと、
大地震両川口津浪記」の
レプリカが置かれています。
安政南海地震の翌年1855年に
建てられたもので、
148年前の宝永南海地震の
教訓を活かせずに多くの犠牲を
出した悔しさとともに、
教訓を活かすよう願ったものです。
高波を模した高潮被害トンネル…
高潮災害に見舞われた場所でも
あったのです。
高潮防災施設 安治川水門
模型もありました。
閉鎖には主水門だけで
およそ30分かかるそうで、
すべての作業には約1時間。

ステーション敷地には、
六軒屋閘門」の碑石。
此花区伝法の「鼠島」という
場所にあったもの。

「鼠島」の由来には諸説あり、
コレラの避病院があったとか、
カタチがネズミに似ている、
とも言われています。
かつては多くの橋が、
島に架けられていました。
ざこばばし」とあります。
[浪花百景 雑喉場 芳瀧(よしたき)画]

天満の青物、堂島の米と並んで、
魚を商う市があったのが雑喉場。
安土町・備後町辺りにあったのを、
夏場には魚が腐ることで、
ここに移ってきたそうです。

照明灯がついた雑喉場橋、
実は塩昆布で有名な老舗
神宗(かんそう)」さんの本店にも、
そのレプリカが置かれています。

「材料を選ぶ目や食材を活かす技を
 磨いた雑喉場での時間を
 忘れることのないように」
との想いの表れ。

こちらは「江之子島橋」の橋柱。

[浪花百景之内 木津川口甚兵衛の小家」
  長谷川小信 画]


こんな漁村風景も時代とともに、
役割を変えていったのです。

[大坂名所 木津川及大坂府庁 1891年]

※このブログは月刊中之島 Vol.47(2012年6月)
『大阪の「ウェストゲート」を旅する。』
 を参考にしています。

2016年7月27日水曜日

いざ江之子島政府へ② 青い官舎


enocoの前に残る
江之子島政府の名残。

一時期でしたが大阪市役所は、
江之子島にあった府庁舎を
間借りしていたそうです。
「特例によって大阪府知事が
 市長を兼任していたが、
 特例の廃止に伴い市庁舎を
 どこに建築するかが
 問題になっていた。
 堂島や津村別院(北御堂)など
 あちこち候補は挙がったものの、
 適切な場所が定まるまで
 府庁舎の一部を借用することに
 落ち着いた。」※のだそうです。 
今川 浩満さんの描かれた
画集 浪速の洋館』では黄色
今は青いがこの建物は、
内務省の大阪官舎だったそうです。


大正初期の建築とみられていて、
庁舎に正面を向けていて、
背後を木津川に面しています。
焼け残ったのは1棟のみとか…

文化財オンライン」で調べると、
エメラルドグリーン…。
持ち主の趣味で塗り替えられて
いるのかも知れません。
下見板張。
玄関北を洋室とするほかは
和室になっているそうです。
大阪市が自前の議場を持ったのが、
1912年(明治45)のことで、
官舎はそれ以後に建てられたもの。
最終的に市役所が
中之島への移転を果たしたのは
1921年(大正10)でしたから、
ここも使われていたかも知れません。

「木村家住宅主屋」

建築年:1912-1925年ごろ
設計 :不詳
構造 :木造2階建、瓦葺
【国 登録有形文化財】

※このブログは月刊中之島 Vol.47(2012年6月)
『大阪の「ウェストゲート」を旅する。』
 を参考にしています。