花燃ゆ防府へ④毛利博物館〜防府邸

公爵毛利家の本邸 防府邸をご訪問。
ボランティアガイドさんに…
「時間が限られてるのでアラカルトで!」
とお願いしたので駆け足にて。
こちらが表門にある警ら所。

唐破風の車寄せには
「一文字に三つ星」の紋、
その上部には沢瀉の装飾彫刻。
「家憲」の規定にしたがって、
旧藩士であった
維新の元勲 井上馨によって、
明治25年(1892)この地での
建設が決められたもの。
大書院形式が踏襲された組上げ格天井、
そしてシャンデリアが設え。
実は招待される客の格式によって、
電球の数が変えられています。
床の間には「一日 一力 一心」
百万一心とも言われるが、
縦書きにしてこう記されます。
毛利元就が吉田郡山城の普請の際に、
人柱の代わりに使用した石碑に刻まれた。
「せっかく助けた命を
 再び犠牲にすることはない。
 百万の心を同じくし、
 一致協力して事にあたれば
 何事でも成し遂げられるものだ」と。

先祖である野見宿弥がその昔、
古墳を作る際に殉死の
人馬の代わりに埴輪を納めたという、
故事にならったと伝わります。
木曽御料林から切り出された
ヒノキの大角材の階段を上がり2階へ。
天井を見上げると格天井には、
木目を活かした粋。
欄間の彫刻も
贅の限りが尽くされています。

相次いでの日清日露の戦争で
着工が遅れたのですが、
ようやく大正元年9月に建設が開始、
6年弱の歳月を経て1916年に完成。


東京芝にあった高輪邸や、
既に防府に存在していた三田尻邸
いまの英雲荘などと区別するため、
その所在地から防府邸ないしは
多々良邸とも呼ばれていたそうです。

こちらは
毛利家当主および当主夫人の浴室。
浴槽は大理石製の豪奢なもの。
別棟の給湯施設から
配管が設置されていて、
大正の建築でありながら…
蛇口をひねると湯が出てくる
集中給湯システムになっておるのです。
公爵使用の理容台


廊下の畳敷きと板敷きは、
長兄を区別する設えでもあります。 

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