堺の街並みを往く〜煉瓦の地産地消①


廃藩置県、明治維新になって、
堺の地はいち早く近代産業都市へと、
その役割の舵を大きく切りました。
1869年(明治2)には工部省鉄道寮が、
住吉橋通りに全国初の官営工場である
レンガ製造所が開業したそうです。
堺付近では良質の粘土が採れる上に、
港に接しているから輸送に有利という
そんな立地条件もあって、
堺の煉瓦産業は反映したそうです。
昆布佃煮 藤本商店」の看板がある、
この赤レンガの建物はもともと、
1870年に 丹治利右衛門という人が、
大阪の民間として煉瓦製造を、
始めだしたときに造られたものです。
丹治煉瓦」を筆頭に泉南地方に集中した、
岸和田煉瓦、堺煉瓦、大阪窯業、
貝塚煉瓦、日本煉瓦など、
当時の日本を代表する煉瓦製造所が林立
煙突から排出する煙で、
堺の空は黒く覆ったほどだったとか。
しっかりと積み上げられたイギリス積み
時代を経ても堅固さを保っています。
屋根部分は瓦葺き、
鬼瓦には「寿」の文字が見えます。

ところで堺でなぜ昆布
江戸時代に北海道で採れた昆布は、
北前船を下関回りで瀬戸内海から堺へ、
当時コンブロードと呼ばれていたそうです。

そして堺は昆布を削るための道具、
良い打刃物の産地でありましたし、
天下の台所である“大坂”の傍にあって、
堺の伝統産業として、
その繁栄が築かれたのです。
丹治煉瓦製造所 倉庫
→藤本商店
建築年:明治末期から大正初期
設計 :不明
構造 :煉瓦造り平屋建て
所在地:堺市永代町1丁目

このブログの人気の投稿

村野藤吾のファサード⑫読売会館・そごう東京店

野球帽の研究 補講〜高校野球帽

異界との出入り口《春日権現験記絵》