大関さんの灯台〜今津灯台

甲子園の次に
急行が停まるのは「今津」。
甲子園〜久寿川…
そして今津ってことになる。
そこに…
日本最古の現役灯台がありました。
酒蔵通りよりもまだ海寄りに、
宮水と酒文化の道パネル。
では日本最初の灯台は??
遣唐使船のために九州各地で
焚かれた「かがり火」だったとか。
江戸時代になると海運が盛んになり、
今津港ができたのは江戸時代の寛政年間、
18世紀のおわりごろのことです。
江戸積みも酒荷を運ぶ
樽廻船で賑わっていたころに
「今津灯台」が誕生したそうです。
大関酒造の長部家5代目長兵衛さんが、
1810年(文化7)に私費を投じて
建てたのがその始まりとのことです。
正式には「大関酒造今津灯台」といい、
海上保安庁が航路標識として、
正式に「灯台」として承認されている
現役灯台でもあるのです。
木造袴腰付灯篭形行灯式灯台」、
様式を正式にいうとこうなるそうです。
毎夕の油2合をたずさえて行くのが、
大関酒造さんの丁稚さんのお勤めでした。
雨の日も、風の日も、
そして厳しい冬の日も…
ずっと灯し続けられてきたのです。
航路のみちしるべが示され、
灘の心意気がここにもあったのです。
台石にある「象頭山 常夜燈」の文字。
四国金比羅の象頭山中腹にある
会場の守護神、金刀比羅宮に奉納され、
分灯された灯明台として地元に愛された、
「地元の象徴」は、
照度計による自動点火となりましたが、
いまなお今津の誇るべき存在です。
樽廻船で江戸へ運ばれた「下り酒」は、
酒問屋が連なる「新川」で船揚げされ、
味を究めた仲買商が値を決めたとか。
商談が成立した時に売手買手の
繁栄が祈念されて手締めが行われました。
いまなお都内の酒類卸業者の間に、
新川締め」として受継がれています。

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