ヒロシマ爆心地から900m〜広島旧大本営

日清戦争のころに置かれた
ヒロシマの「大本営」。
碑文は
明治二十七 八年戦役 広島大本営

日清戦争が本格化したこともあって、
1894年9月になり大本営が移されました。
当時 東海道本線は全通していましたが、
神戸から先は 山陽鉄道 が開通したばかり。
通信事情も良くなかったこともあって、
戦地により近い広島が選ばれたそうです。
広島城内にあった第五師団司令部の建物が
明治天皇の行在所とされていて、
東京から大本営が移されてきたそうです。

「大本営」とは戦時において天皇の
隷下に設置された最高統帥機関のこと。
(当時の絵葉書に復元彩色されたもの)

明治天皇の広島滞在は、
明治27年9月15日から
翌28年4月27日まで、
実に7ヶ月間に及んだのだそうです。
その後も建物は保護されていたそうです。
広島が原爆の投下目標候補になったのは、
大本営が置かれたことで日清戦争以後も
陸軍の拠点として発展し続けていた、
いわゆる「軍都」であったこと。
投下された日の天候云々の話はありますが、
候補地であったことは間違いありません。
兵器や糧秣、軍服などの工場が立ち並び、
軍とは切っても切れない都市。
軍都廣島」として
自他共に認められる存在だったのです
広島城には陸軍五師団がありましたが、
本土空襲が都市部や軍港でも
頻発していた時期に至ってもなお、
広島は空襲されない都市」に…
広島城の櫓も
一瞬にして灰燼に期しました。
原爆の実用化にめどが立った頃、
その威力を正確に調べるために、
投下候補地への
通常爆撃が控えられていたとか…
復元された二の丸表御門…
戦前の絵葉書に「大本営」の表札がありました。 
あぶなくないように注意してください
何気ない市観光協会の表札なのですが…
ヒロシマから未来に向けての
メッセージに思えてなりません。

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