ヒロシマ爆心地から2600m〜國前寺

爆心地からは2600メートル。
原爆の爆風で瓦が飛んで、
境内の建物は北東側に
ねじれるようにして傾いてしまったとか。

もとは安芸の国を訪れた
宗祖日蓮の弟子と伝わる日像
という人が真言の僧 暁忍と出会い、
この時日像に師事した暁忍が開祖、
暦応3(1340)年のことで、
当初は「暁忍寺」と称されました。
その後二代藩主の浅野光晟によって、
その夫人自昌院の帰依によって菩堤寺に。
2006年に本堂、庫裏、山門、鐘楼の
修繕工事がおこなわれたそうです。
僧侶の食事の支度がなされる 庫裏。
妻入(つまいり)と呼ばれる
屋根の棟方向に入口があるかたちで、
錣葺(しころぶき)の屋根には、
爆風で吹き飛んだ瓦の一部が
再利用されたのだそうです。
建築手法から、
本堂とおなじく江戸初期のもの。

破風(はふ)懸魚(げぎょ)までもを、
漆喰で白く塗っているのは
大変珍しい手法なのです。
錣葺は本堂にもみられるもので、
二重の屋根をもつ
主体部の上層は白い漆喰塗。
ちなみに寺には三次市に伝わる
化物語の主人公、
妖怪退治で有名な稲生武太夫
妖怪の大将からもらった
ばけもの木槌」が伝わるとか…

原爆による倒壊・炎上は免れたものの、
堂内の被害は大きかったそうで、
爆風で飛び散ったガラスが
今でも柱の中に残っているそうです。
爆心地よりやや距離のある二葉の里は、
被爆の痕跡を残す社寺が
のこる歴史の散歩道。
2012年より8月6日の日には、
國前寺、広島東照宮をはじめ、
ほのかに照らす平和の灯火」として
ライトアップが行われているそうです。

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