ヒロシマ爆心地から160m〜広島県産業奨励館

かつて雁木タクシーでみた、
太田川からみた原爆ドーム。
1915年(大正4)に広島県内の
物産品の展示・販売をするトコロ。

設立当初は 「広島県物産陳列館」、
その後「広島県立商品陳列所」、
1933年には「広島県産業奨励館」に。
設計者はチェコの建築家ヤン・レツル。
一部鉄骨を使用した煉瓦造、
石材とモルタル外装の豪奢なもの。
広島のランドマークだったのです。

この模型は、
4歳の時に被爆体験をされた、
ボランティアガイドでもあり
ステンドグラス工芸作家の
寺尾興弘
(おきひろ)さん(73)が、
2年の歳月をかけて、
自作されたものなのです。

屋根は銅板で覆われていましたので、
緑青(銅の錆び)が出てきていたころ。
夜になれば、
きれいな緑色の姿を太田川の水面に、
映し出していたのだと伝わります。

正面玄関部分はこんな感じ…

寺尾さんの模型は、
現在の姿のものもありました。
爆心地は広島県産業奨励館の裏手、
相生橋の南西にあった

島病院」とされていますから、
太田川側は往時をしのぶことができます。

当初の投下目標は上空からみると
T字に見て取れる相生橋だったのですが、
風の影響により流されたのだそうです。

今回の水面からの原爆ドームの姿は、
宮島と原爆ドームをつなぐ直行便ゆ。
世界遺産航路にて移動!!
水路でつなぐ乗り換えなしのラクラク。



宮島3号桟橋から〜〜
35人乗りの高速船にて。

強行スケジュールのなか…
宮島もやっぱ抑えておいたのです。

厳島神社を訪れた時間は、
干潮のピークでした!!

拝殿奥にある
反橋も桁下までクッキリと。

ちなみに厳島神社は、
ヒロシマ爆心地から16000m
16kmほど離れていて、
なおかつ爆心地に対して
横向きの入り江にあたっているので、
爆風もほとんど受けなかったとか。

時間のないなかにありながらも…
至極当然 焼き牡蠣を頬張って。

おなじみの参道「梅山」さんに
開店前なのに無理を言って。

あなご飯弁当」を船内に持ち込んで、
まさにエエとこどり(・ω・)v

広島市内に入るとスピードを落として、
デッキに出させてもらうことができます。

太田川河岸には「住吉神社」。
そして、カープの御用新聞社(笑)とか…

いまに残る雁木を眺めて、
リバークルーズを満喫しました!!


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