2015年1月31日土曜日

その手は桑名の焼き蛤⑦ お多度かけねば片参り


「お伊勢参らばお多度もかけよ、
 お多度かけねば片参り。」

せっかく桑名にいるんだから多度神社へ。
桑名から大垣を経て揖斐につながる
単線ながらも全線で57.5km。
もともとは近鉄の養老線だったが、
2007年10月から引き継がれた「養老鉄道」。
桑名〜多度間は13分。
310円はちと高いか。
多度駅の駅務室で聞くと
歩いて上りなので25分くらいかかるとか。
でも…「K-バス」という地元の足を支える
桑名市コミュニティバスがタイミングよく、
現れたので…使わせてもらいました。
全国的にも珍しく神馬舎には、
ホンモノの神馬がおりました。
多度大社は5世紀後半からの歴史があり、
天照大神の第3皇子
天津彦根命(あまつひこねのかみ)」、
がお祀りされていることもあって、
北伊勢地方の総氏神様として、
神格が高かったようです。
相殿には男神「面足尊面(おもだるのみこと)」、
女神「惶根尊
(かしこねのみこと)」が祀られる。
天地開闢
(てんちかいびゃく)のときに
お生まれになられた神世七代の第六代目の神
この奥は霊験あらたかなる
神域なのでしょう。
こちらが「別宮 一目連(いちもくれん)神社」。

天津彦根命の子
「天目一箇命
(あめのまひとつのかみ)」を祀る。
天目一箇神は、岩戸隠れの際に
刀斧・鉄鐸を造られたと記されている神。

美御前社
(うつくしごぜんしゃ)
このお社だけが華美な装飾彫刻で、
異彩を放っていました(・ω・)v
宮人よ 我が名を散らせ 落葉川
松尾芭蕉が多度の地を訪れたのは
1689年(元禄2)のことだったそうです。

ところで「お多度かけねば片参り…」、
多賀大社だと
「伊勢に参らばお多賀に参れ、
 お多賀参らねば片参り」
熊野三山にあっては
「伊勢に七度、熊野に三度、
 どちら欠けても片参り」。
真意のほどは街道旅籠仲間、
商い業のキャッチフレーズやったとも…。
帰りの「K-バス」だと養老鉄道の桑名行きが、
ぐっと遅くなるので駆け足で多度駅へ。
みちすがら、
かつての小学校の校舎に出会いました。
あとで調べてみると
旧多度尋常高等小学校」だったとか、
1933年(昭和8)に完成した
昭和初期の校舎建築だったとか。
二宮尊徳像もありましたよ。
ふたたび桑名へ…
多度駅に買い求めた養老鉄道グッズ
マグネットカーで上から、
ラビットカー、センロク、マルーンレッド。
ラビットカーはもともと近鉄南大阪線で
活躍した高性能車両で唯一の現存車両が、
養老鉄道に在籍しているのです。
実は三重にはいろんな鉄道や軌道が
あるらしく「たのしいみえののりもの」なる
パンフレットも見つけました。
また、電車目当てに訪れたいと思います。

一球人魂〜『アゲイン』観てきたなり

楽しみにしていた
アゲイン』を観てきた。
野球は観るよりも、
するほうが面白い。
虎次郎もオーエンユニ以外にも、
草野球のユニフォームがタンスの奥に
ふたつある。
ひとつは「同志社タイガース」、
もうひとつは「京阪タイアンツ」。
「同志社タイガース」は
大学の虎サークルの草野球チーム。
阪神タイガースの当時のビジターユニに
胸には Tigersと綴られているユニ。
背番号は40でネームはREINBACH
公式戦は4年間でノーヒットだった。
卒業壮行試合で1試合に猛打賞を
打ったのは今でも覚えている。
プレーの経験がなくとも…
野球の大好きなオッチャンには
ぜひオススメの映画なのである。
ヒロイン 戸沢美枝を演じる波瑠さん
オジサンの妄想が作り上げたかのような
理想の若い女性なんて前評判どおり。。。
年齢を超えて
眩しい存在っているんやって(・ω<)

ネットでは夏目雅子さんと重ねあうって、
そんな評判が踊っている。
「私が生まれた時には既に亡くなられていました。
 憧れとか目標とかいう感じではなく、
 違う世界にいらっしゃる方のように思えます。」
    って波留さんのコトバ。

夏目雅子さんといえば…
瀬戸内少年野球団』の透き通る存在…
時代を超えて
リアリティーのある女優さんに、
きっと波留さんはなれるのではと。
お気にいりの女優さんとして、
これからチェックしておきます。
もう一つの
『アゲイン』を待ち焦がれた理由。
あの浜省が10年ぶりの
新曲を出すキッカケに。

もともと使われる予定だったのは
♫君が人生の時…」だったそうだが、
タイトルバックに7分は長すぎる。
それをテンポを少し速くして
4分ぐらいにしたのを、
最初の試写までは
それで行く予定になっていたらしい。

エンドロールの「♫夢のつづき
「君が投げ返してくるボール 日毎 速くなり
 今ではオレより背も高くて 何だか眩しい
 だけど話し始めると まだ頼りなく子どもで…」

アルバム『Dream Catcher』は
そもそも“マスターズ甲子園”のための
サントラ的存在だったものが…
「そう、映画の主題歌をつくるのも、
 ミニアルバムを出すのも、
 自分にとっては
 全く予想していなかったものなんです。
 ただ、自然の流れではありましたね。」

「君が鏡にむかい口紅ひいてる姿
 母さんの若い頃に似てきて 何だか眩しい
 今夜のデートの相手は 前の奴よりマシだろうか」

一球入魂やなく「一球人魂」
涙が自然と
タラ〜〜〜と頬をつたいますよ。

その手は桑名の焼き蛤⑥ 旧四日市銀行桑名支店

桑名の「京町」あたりには、
桑名の経済の中心地だったようで、
百五銀行、四日市銀行、名古屋銀行、
そして桑名町役場がありました。
幾何学的な要素をもつアールデコ
1925年(大正14)に「四日市銀行桑名支店
として竣工した当時らしい銀行建築。
いわゆる昭和恐慌もあって1930年代には、
四日市銀行桑名支店は閉鎖されましたが、
その後 現在の桑名信用金庫が四日市銀行より
買い取って桑名信用金庫の本店、
ついで京町支店として利用したあと。
1991年に土地と建物が桑名市に寄贈され、
桑名市石取会館」として公開されています。
石取祭
日本一やかましいお祭り」として有名。
豪華絢爛の祭車の灯火が夜空を焦がして、
巡行する姿と鉦と太鼓の音…
一度目と耳で体験したいものです。


鉄筋コンクリート造りで一部3階建て。
古典様式が簡略化され、
建物の角は丸く縁取りされ、
重厚で力強い外観がヨスヨス。
柱と柱の間には長方形の窓が二つ、
柱上部のエンタブラチュアという水平帯は、
屋根の荷重を受けて、本来直接柱に
支えられているものなのですが、
装飾的に簡略化されています。

こちらは石取祭の祭神「春日神社」。
古来桑名の総鎮守として
桑名首(くわなのおびと)の祖神を祀る。
春日神社とも「桑名宗社」ともいう。
桑名神社と中臣神社の両社を
あわせてこの名があ。
「勢州桑名に過ぎたる者は
 銅の鳥居に二朱女郎」
と歌われた

日本随一の青銅鳥居。 
式内社の
桑名神社・中臣神社2社で構成、
三崎大明神とも
春日大明神とも呼ばれたとか。
歴代の桑名城主によって
あつく庇護されたそうですが、
桑名城主造営の社殿は、
1945年の戦災で焼失したのだそうです。
蟇股の装飾にも
三崎大明神とも春日大明神二つの社紋。

こちらは石取会館と同時期の
鉄筋コンクリートの「蔵前祭車庫」。
三重県内における
初期の鉄筋コンクリート造、
2008年に
国の登録有形文化財に指定されてます。
妻面両端にパラペットを立ち上げ、
外壁と柱はスタッコ塗壁になっておる…
1926年(大正15)の近代遺産です。
こちらは「六華苑」の
敷地にあるレンガ倉庫
もともとは5棟あったそうですが、
こちらも
1945年の戦災で3棟となっています。
米蔵として使用されてきたものだとか。
連なる部分のレンガの造作がヨス。

奥に見えるのが土蔵です。

2015年1月30日金曜日

その手は桑名の焼き蛤⑤ 薩摩の意地 宝暦治水

《末廣五十三次 桑名》月岡芳年 画

桑名は水運によって繁栄した町。
ただ「輪中」と呼ばれるように
土地より水面のほうが高い土地。
さらに…長良川の川底は、
木曽川の川底より1m程低いから、
尾張に比べて伊勢・美濃のほうが、
氾濫することが多かったそうです。
宝暦治水工事は1753年(宝暦3)からの、
正式には「三川分流工事」と呼ぶ
幕府が薩摩の島津藩に命じた
お手伝普請」。
桑名市北寺町に
ゆかりの墓所がありました。
曹洞宗の「海蔵寺」、
島津藩は巨額を費やし、
藩士にも50余人の犠牲者が出たとか。
これらの責任を取って、総奉行を勤めた 
平田 靭負(ゆきえ)は自刃したそうです。
九代将軍 家重の代のとき、
木曽三川の大治水工事を決意したのですが、
幕府としては「目の上のたんこぶ」的な
存在であった島津藩の財政疲弊をねらっての、
「お手伝普請」だったそうです。
薩摩からは三百里もへだてた地
まさに縁もゆかりもない、
大名の財力をただ削るための
ものだったのか??
本堂には平田靭負の
木像があったようです。
 (「海蔵寺」HPより転載)
「住みなれし里も今更名残にて
 立ちぞわづらふ美濃の大牧」
平田靭負 52歳の辞世の句です。