横浜・大実業家の大邸宅〜三渓園ゆ 弐




「三渓園ゆ 弐」
おそらくもう少し秋めいているでしょう。
実は南門のある海側から入ったのでしてたので、
見た順番に紹介したいとおもいます。

旧 天瑞寺寿塔覆堂
(きゅうてんずいじじゅとうおおいどう)

豊臣秀吉が京都・大徳寺に
母の長寿祈願のために立てさせた
寿塔(じゅとう)を収めるための建物。
寿塔」とは…長寿を祝って、
生存中に建てられたお墓のことで、
寿塔そのものは
大徳寺内の「龍翔寺」にあるとか。
扉には迦陵頻迦
(かりょうびんが)
蓮の花の彫りの深い装飾が今に伝わります。
「亭しゃ」(木偏に射)には紅葉葉...
まさに絵になる風景なのことでしょう。

和歌山県岩出市にあった紀州徳川家の別荘
巌出御殿
(いわでごてん)と伝わる
1649年(慶安2年)に建てられたもの。
以前は豊臣秀吉が建てた
聚楽第の遺構ではないかと言われていたものです。


数寄屋風書院造りには
狩野派を中心とした障壁画。

三溪がこの建物を入手しようとした頃は、
豊臣秀吉ゆかりのものだとされていたそうです。
三溪は「桃山御殿」と呼んでいたそうですが、

池に面して建ててあって、
もともと紀の川の岸に建っていたから...
やはり紀州藩の別荘だからなんだなぁと。
あぁなるほとど思ってしまいますが、
池は三溪園でしつらえたものだから、
信ぴょう性を高めるものではないのです。


そんなことよりも、
彼岸花の咲き誇るさまを見るつけ、
ただお庭と建物を愉しむべきやと思わせる...
そんな風景がそこかしこにありました。

奥入るともうひとつの「三渓園」の
見どころにたどり着きます。
徳川家光が二条城内に建てたものが、
後に春日局が下賜されたと伝わる「聴秋閣」。
L字型の一段下がった杢板敷きの入口は、
舟で漕ぎ着くのかと想像させます。
茶人として高名な佐久間将監の作と伝わるが、
小堀遠州の作という説もあるらしいとか...
いずれにしても名建築であるには違いない。
少し高台にあるのが「月華殿」。
初代徳川家康の命により、

京都伏見城内に
建てられたものといわれています。
京都宇治市の三室戸寺金蔵院
客殿を移築したものだそうです。
家康再興の桃山城の遺構を
下賜されものだと伝わります。
臨春閣の裏手にあった「身代わり灯籠」。
千利休が刺客に襲われたとき、
体をかわしたので流れた刀が当たった
身代わりの灯籠であると
いわれているものです。

つづきます(・ω・)v

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