松江のお城をたずねる旅

“松江城”ってのは
国に現存している12天守の一つ
山陰では唯一の天守閣を持つ
城郭史跡なのです。
明治維新のあとの「廃城令」がでたあと、
1875年(明治8)に広島鎮台は、
松江城諸建造物と三の丸御殿を
民間に払い下げることを決めるのです。
「城郭まさに無用の贅物に属し、
現今の実用に供しがたき」ものとして、
松江城の廃城が決まっていたとか。
天守閣も当時180円で落札されたそうですが、
瓦も柱もほとんど廃材となるとのこと。
そんななかで、
松江に城を残そう」と踏ん張ったのが、
地元の豪農であった大庄屋の
勝部栄忠さん と その息子の勝部景浜さん。
そして、銅山を経営していて
勝部家と親しかった元藩士で、
銅山方役人の高城権八さんなのです。

松江開城は 堀江吉晴 公で・・・
関ヶ原の戦いののち、
出雲・隠岐を拝領した忠氏とともに
広瀬にある富田城にはいったのだが、
適地を求めたところが
この“松江”だと伝わります。

こちらはその後の藩主・京極忠高
寛永期1634〜1637年の
4年間の治世とか。

そのあとは大坂冬の陣
徳川の治世の地となり、
結城秀康の第三子で
徳川家康の孫にあたる 松平直政
この地を受け継いだことにより、
その後 葵の御紋が明治維新まで、
この松江に掲げられたのである。

お城の近くにある「松江歴史館」には、
さまざまな資料が展示されていました。

LEGOもありましたよ(・ω・)v
なかなかの出来栄えでした!!

堀川遊覧船とともに観光地・松江には、
衣食住の豊かさに支えられ、
文化的にも安定した時が刻まれています。 

松江とには茶道の独自の歴史があります。

松江藩七代藩主 松平治郷不昧(ふまい)
名乗って、自ら「不昧流」を興します。
茶会で使われた和菓子の数々は、
不昧公好み」として
今に受け継がれています。

松江歴史館内の「喫茶きはる」さんで、
松江の和菓子を頂きました!!
現代の名工 伊丹二夫さんの和菓子です。

これは「出雲なんきん」っての。
ランチュウ系統の品種で
県の天然記念物なんですって。

で…なぜナンキン??
江戸時代は中国からの
かわいい物を“なんきん
呼んでいたからともいわれています。
「松江城天守閣」

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