だんだん松山③ 洋館めぐり「萬翠荘」


実は...
松山には憧れの洋館があり、
だいぶ前から是非ともと思っていたので、
今回の遠征を決意したのであります。


「坂の上の雲ミュージアム」のお隣にあるのが、
お目当ての「萬翠荘」!!

1922年(大正11)に
久松定謨
(ひさまつ さだこと)伯爵の
別邸として建てられた洋館で、
定謨さんは陸軍駐在武官として
フランス生活が長かったため、
純フランス風に仕上げられています。

久松定謨は伊予松山藩主藩主16代目であった
松平定昭のあと家督を相続した人で、
各界名士が集まった社交場であったそうで、
皇族方が松山訪問の際は
必ず必ず立ち寄ったところと伝わります。
一説には昭和天皇の松山訪問に合わせ、
その完成を急がせたとも言われています。

設計は 木子七郎
(きご しちろう)という人で、
新進気鋭な彼は伯爵の思いを十分に受け止め、
西欧建築を学びに数ヶ月間ヨーロッパを
遍歴したのだそうです。

夫⼈が愛媛出⾝であったという縁もあり、
「愛媛県庁」や「鍵⾕カナ頌功堂」など
数多くの建物が残されているそうです。

敷地はもともとは松山藩の家老屋敷で、
夏目漱石が松山中学の英語の教師として
赴任した折に下宿をしていた
愛松邸」があったところとか...

建築費は大正 11 年で約 30 万円が費やされました。
県庁本館が昭和 4 年で約 100 万円なので、
インフレのさなかにはるかに約 1/3以上 の
費用が投じられたまさに贅をつくした逸品です。

西洋建築の多くは左右対称ですが、
日本人のアンバランスの美意識、
左右⾮非対称で構成
されていました。

ネオルネッサンスと呼ばれる格調高い様式、
正⾯の⾞寄せと⽞関ホールの柱の頂部には、
コリント式の飾りが目につきました。

その特徴であるアカンサスの葉などの彫刻たち。

屋根のトップには銅板が使⽤され、
天然スレートの「うろこの屋根」

葺かれています。
かつて避雷針の先端には、
松⼭藩の⼤判・⼩判が使われていた?とか…

外観だけで今回はオシマイです。。。。

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