真田山のお地蔵様をたずねて

真田山」というところは父と祖父母の墓所があり、
虎次郎にとっては馴染み深い場所なのですが、
ぶらぶらと歩くのはおそらく初めてのこと。

ここかしこで お地蔵様に出会いました。

こちらは「空堀地蔵尊」。
「真田山旧陸軍墓地」の中にあります。

「智慧の朝おき地蔵尊」
「早起きは真田山だから六文の得」なのかな?

真田山の交差点から餌差町へ向かうと急勾配。
その途中にあるのが「伝長寺」。

『絵本太閤記』作者・武内確斎の墓所があるところです。
『絵本太閤記』は当時爆発的にヒットするのですが、
豊臣人気が高まることに恐れをなした幕府が絶版に。
大坂の太閤びいきには神経を尖らせていたようです。

山門をはいると・・・
すぐ右手にあるのが「なで地蔵尊」さん。

体の悪いところと同じところを撫でさすれば、
身体についた悪霊を取り除いてくれるとのこと。
カドが取れて丸々してはります。
恰幅
(かっぷく)の良いお姿に親しみをおぼえます。

「真田丸跡碑」が門前にある「心眼寺」。

ここにあるのが「まん直し地蔵」。
「まん」とは大阪弁で「運」「げん」のことです。
運気の悪いときに祈願すると効験があるとのこと。

そして…大坂の陣の戦死者を

弔うために建てられたと伝わる
どんどろ大師」の「善福寺」へ。


1909年にここに移ってくる前には
「鏡如寺」というお寺があったようです。

本尊としていた弘法大師を深く信仰していた、
大阪城代の土井利位が付近に住んでいたことから、
土井殿大師と呼ばれるようになって、
なまって「どんどろ大師」となったと伝わります。
土井利位は、幕府の老中となり「天保の改革」で
水野忠邦を支えた人物なのだそうです。

毎月21日の大師さんの日に行われた
「大師めぐり」の一つに選ばれたことで
ずいぶん賑わうようになったそうです。

それにあやかって近松半二らが
浄瑠璃芝居「傾城阿波鳴門」八段目の舞台を
この地に書き換えたところ、
芝居は大評判になったと言われています。

「傾城阿波鳴門」のあらすじ
阿波の十郎兵衛・お弓の夫婦は主君の盗まれた刀を
探し出すために盗賊として裏社会に紛れ込んでいますが、
そこへ幼くして生き別れた娘・お鶴が徳島から父母を尋ねてきます。
お弓は娘と分かりますが、
いまは盗賊の身で一緒に暮らすことは出来ないと、
何も告げずに別れる…

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