2012年8月28日火曜日

虎と鯉のレジェンド・・・

週末のズムスタ・・・
行って参りました(・ω・)v
レジェンド ユニシリーズの復刻ユニ。

試合の方は1勝1敗1分で喧嘩両成敗???
26日の試合前に行われた、
掛布と北別府の名勝負もファーボールでした。



土曜日の試合にはサンテレビの中継で、
大写しされたとか。。。。
多方面から連絡をいただきました。
きっとレジェンドユニを纏って、
Oの復刻帽子をカブっていたからでしょう。
そう・・・こんな出で立ちで(・ω・)v

2013年に旧広島市民球場周辺で行われる
ひろしま菓子博2013のゆるキャラ

かしなりくん」と一緒に・・・
お菓子の復刻ユニの
「グラウンドケーキ」を撮影してたら〜
きっちり 菓子博のFacebook にも出没。

復刻前田写楽Tシャツ」もゲットしたりと。

楽しい夏の思い出たくさん刻みましたよ!!
またゆっくりとご案内しますm(_ _)m

2012年8月13日月曜日

奈良 依水園に楽しむ


奈良県庁の近くにクルマをとめていたので、
その近くにある「依水園」に寄りました。
もともと東大寺 西大門があったところらしいが、
興福寺の塔頭 摩尼珠院の跡に造られたという、
奈良市内唯一の池泉回遊式庭園。



前園は江戸時代に作庭されたもので、

奈良晒(さらし)業者である清須美道清 の別邸、
そして後園は明治時代に 関藤次郎 により作られた。

後園の借景が特にすばらしい(・ω・)v
遠くに若草山、春日山、御蓋山が見え、
すぐ手前には 東大寺南大門 の屋根が覗きます。

紅葉のときとか
さらにキレイなんだろうな・・・

東大寺 だいぶつさま・・・


大学の頃から。。。
ココロを整える場=東大寺 大仏殿。
ちなみ大仏は正しくは「盧舎那仏坐像」で、
大仏殿は「東大寺金堂」が正式な名称だ。

大仏殿は二度焼け落ちていて、
今あるのは江戸時代に再建されたもの。
創建時には11間で86mあったが、
現在は7間=57mでもその大きさは圧巻だ。

正面の唐破風
(からはふ)下にある観相窓は、
大晦日から元旦かけて開かれて、
大仏さまが顔を覗かせる。

8月7日に行われた恒例の「お身拭い」のお陰にて、
さっぱりとした男前に相まみえることができました!

堂内には歴代の大仏殿の模型が並べられている、
こうして見比べると大きさの違いは歴然だ。

実は南都焼討である治承の兵火で罹災する前の、
大仏殿の面影が「信貴山縁起絵巻」に残っている。
大仏は黄金色に輝き、眉は青、唇は朱が見えます。

現在の大仏は胴体が鎌倉時代、両手が桃山時代、
少し面長になった首から上の頭部は
江戸時代に再鋳造されていると言われています。

そして...
こちらは大阪万博に出展された
大阪万博の七重の塔」の相輪も観てきました。

2012年8月12日日曜日

東大寺ミュージアム 西大門に思いを馳せる


朱雀大路に次ぐ大路であった二条大路には、
かつては東大寺西大門というのがあって
威容を誇っていたのだそうです。

南大門級の規模での西大門は、
平城宮への東大寺の正門だったのですが、
戦国時代に大風で倒壊、
その扁額を南大門にほど近い
東大寺ミュージアム」で見ることができました。

「東大寺ミュージアム」は
2011年10月10日にオープンした施設で、
もと東大寺学園があったところに建てられています。

額に刻まれてる「金光明四天王護国之寺」の字は
聖武天皇の筆によるもの伝わります。
東大寺の国分寺としての正式名称が刻まれている。
梵天・帝釈天・四天王・金剛力士の
八体の仏像が付けられていて、
その大きさから門の威容さが伝わります。



写真:「Lmaga.jp」より
ミュージアムの最大の見どころは、
修復中の法華堂からお引っ越ししてきている
本尊・国宝不空羂索
(ふくうけんさく)観音像と、
日光、月光
(がっこう)両菩薩像の3体。
織り上げの格天井や朱塗りの柱など、
法華堂の内陣がそのままに。。。
間口は実際の須弥壇と同じ幅なのだそうだ。

それと。。。
お気に入りの法華堂伝来の弥勒仏坐像。

試みの大仏」も今はここに置かれている。
大仏の元になったとも伝わる仏像。
いつもながら、なんかホッとさせられる。


東大寺 南大門を見上げて...


青空に映える東大寺 南大門を見ると、
遠足に来たような気分になるからフシギ。

藤原時代の末に宋から伝わった建築様式で
建てられている二重門、
実は「大仏様」という建築様式で建てられた
純粋なカタチを残しているのはこの南大門と、
兵庫県にある浄土寺浄土堂だけなのだと言われる。
大仏殿を始めとして灰燼に帰した東大寺の再建に
力を尽くした重源の復興事業で残る建造物は、
実はこの南大門が残るのみなのである。

大仏殿は建久元年(1190年)年に再建、
南大門は正治元年(1199年)に行われたのだが、
大仏殿の方は…
戦国時代の永禄10年(1567年)にも焼失、
現存しているのは
宝永2年(1705)再建の三代目である。

大仏殿が目前に見えてくるし、
ついつい阿吽の像に見とれがちだが、
見上げてみると
何段もの「」と呼ばれる水平材が見事。
実はこの貫こそが、大仏様最大の特徴だと言われる。
シンプルであるが故の合理的な建築法は、
高い耐震性を持っているのである。

ちなみに阿形は運慶
(うんけい)と快慶(かいけい)
そして12人の仏師の手によるもの。

吽形は定覚
(じょうかく)と湛慶(たんけい)の作品。
吽形が「うんけい」という訳ではない。。。

そして軒を支える組物は、
「挿肘木」
(さしひじき)を六段に組んだ
「六手先」
(むてさき)と呼ばれるもの。
柱と貫とで構成される大仏様は強度が高く、
また使用する木材も少なくて済むのが特徴で、
豪快で大陸的なフォルムを形作っている。

内部の貫のピッチが二層目の屋根の
レベルまではだんだん広くなっている。
見上げた時に高く見えるのはこんな理由だとか。

2012年8月11日土曜日

洋館 博物館めぐり 奈良国立博物館

奈良国立博物館 旧本館は煉瓦造りに石張り。
ネオバロックフレンチルネッサンスの外観は、
まさに装飾であふれている。
かつての正門である西側玄関には、
コリント式オーダーが立ち並ぶ。

そしてここかしこにに「メダリオン」。

ただ、廃仏毀釈で荒廃した古都の仏教美術を
守るために造られた博物館の姿は
純西洋風
美観を損ねる」と批判の的となったという。
その影響で近くに新築された奈良県庁舎などは、
寺社を思わせる和風の外観となったのだとか。

基礎は愛媛県の伊予大島産の花崗岩で、
桁や窓縁は神奈川県産の沢田石が使われている。

こちらは東側の入り口。
夏らしい表情を
カメラに収めることができた(・ω・)v

「奈良国立博物館本館」(旧帝国京都博物館)
建築年:1894年(明治27)
設計:片山東熊、宗兵蔵
構造:煉瓦造平屋建て、桟瓦一部銅板葺
【国・重要文化財】

2012年8月10日金曜日

洋館 博物館めぐり 京都国立博物館

 京都国立博物館の設計は
片山東熊(かたやま とうくま)
のちに赤坂離宮を設計した人物ですが、
いわゆる宮内庁匠寮で皇室関係の建築をした人です。
西洋風の建築が京都になじまない」として、
当初は、反対運動もあったそうですが...



建物は「帝国」の威厳を感じさせるもので、
「左右対称の厳然たるフレンチ・ルネサンス様式」で、
本館正面に置かれたオーギュスト・ロダンの彫刻
考える人」が大きなアクセントになっています。



正面上部の彫刻のモチーフは
建築、美術工芸の神とされる
毘首羯磨(びしゅかつま)と伎芸天(ぎげいてん)

1895年の開館当初は「帝国博物館」で、
開館から3年後には「京都帝室博物館」と改称され、
さらに、1924年の皇太子の成婚を記念して
京都市に下賜され、
「恩賜京都博物館」と改称されました。

第二次大戦後の1952年3月までは
京都市の管轄下にあったようですが、
1954年4月に再び国立となって
「京都国立博物館」と改称されているので、
おそらく正面の文字は当初のものではないと思います。

屋根は桟瓦葺で一部スレート(粘板岩)及び銅板葺、
外壁の要所に石が用いられ、
正面中央には大きな妻飾りをもつ
玄関を設けられています。



通気口

南面出入り口の飾り


「京都国立博物館」(旧帝国京都博物館)
建築年:1897年(明治30)
設計:片山東熊
構造:煉瓦造2階建
【国・重要文化財】