横浜・山手西洋館をあるく フランス領事館公邸遺構

「港の見える公園」には、
フランス山とイギリス山ってのがあります。

公園であった一帯は 開港当時は
外国人居留地になっていて、
丘の上にイギリス軍、
その下にフランス軍が駐屯していたから...
その名が残っていてその他に地図を見ると、
その他にも「アメリカ山」に「イタリア山」がある。


1875年に英仏両軍の同時撤退のあと、
その地には「フランス領事館」が
置かれることになります。
実は両軍が駐屯することになったのは、
1862年(文久2)の生麦事件」がきっかけで、
自国民の保護を名目に翌年から軽装歩兵の小分隊、
さらに1864年からは海兵隊300名が駐屯した。

さらに下ったところに1896年3月に「領事館」、
そして12月に「領事館公邸」が建てられます。
設計はフランス人建築家のサルダによるもので、
極東一の素晴らしい名建築のひとつ
と称されていたようですが、
1923年の関東大震災によって倒壊してしまいます。
震災後の1930年(昭和5)、
スイス人建築家マックス・ヒンデルの設計によって
領事館公邸は再建されるのですが、
1947年の不審火で焼失してしまったそうです。
現存みられる遺構は、その際に焼け残った1階部分。
2階3階は木造造りだったようで焼け落ちたそうです。
ポーチは擬石積みで仕上げられていたようで、
ホールには壁と床のタイル張りから
当時の面影が伝わります。
脇玄関とみられる開口部の側には、
便所と2階に通じる階段が残ります。

横浜市が「フランス山」をフランスから購入して、
1971年から遺構整備をしてきたとか。
少し上がった所にも領事公邸建設以前に設けられた
井戸が遺構として整備されていました。

上水道が当時この地区にはなかったために
作られたものだそうです。
そして、井戸の水を引き上げていた風車も
公邸の遺構そばで再現されていました。


フランス領事館公邸(遺構)
建築年:1930年(昭和5)
焼失:1947年(昭和22)
構造:鉄筋コンクリート造り3階建て(4階部?)
設計:マックス・ヒンデル

※建物名をクリックすると
グーグルマップ「虎次郎の横浜洋館まっぷ」が見れます。

「フランス山の歴史」(現地案内板より)
1862年9月(文久2年8月)に起きた生麦事件など、攘夷派に
よる外国人殺傷事件が相次いだため、フランスは、横浜居留地に住む
自国民の保護と居留地の防衛を目的に、イギリスとともに軍隊の駐留
を決定しました。
1863年6月下旬(文久3年5月)フランス海兵隊が横浜に到着
し、山手居留地185番地に駐屯を開始、7月、8月頃、駐屯軍兵舎
が186番に3棟建設されました。
1875年(明治8)3月に撤退するまでの約12年間、部隊の交
替をくり返しながら駐屯を続けました。これがフランス山と呼ばれる
ようになった由来です。

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