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5月, 2012の投稿を表示しています

「唐津」をぶらり 高取邸 その2

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高取邸の外観をぐるりと・・・ こちらは「大広間棟」の大玄関  正面から見ると威厳のある風格。  アールヌーボー調の ランプシェードのある大玄関。 家紋の蟇股を中心に 亀甲紋の透かし彫りが見事。 こちらの「居室棟」の玄関は、 スッキリとした表情をみせる。  庭にある虎の置物は唐津焼。  浜側にまわると庭園の 黒松とのコントラストが良い。 モルタルの洗い出しに 高くそびえる洋館部分の「煙突」。 和風を基調としながらも洋館が、 「近代化が急速に進行した明治」が この地に息吹いていたことを示していた。 「 旧高取家住宅  」 建築年:1904年(明治37) 構造:木造2階建て、桟瓦葺 設計:不明 所在地:唐津市北城内5-40 【国・重要文化財】

「唐津」をぶらり 高取邸 その1

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旅チャネルでやっていた 『 和の真髄を探る!日本名建築めぐり 』でみかけた 「 “炭鉱王”の華麗なる遺産・唐津市「旧高取邸」 」。 福岡での交流戦は日帰りもできたのだけど... 佐賀県 唐津まで足をのばして見てきました。 唐津城の石垣がつづく城内の海岸沿いに建つ 近代和風建築の高取邸は、 杵島炭鉱の経営者として知られる 「 高取伊好 (たかとり これよし) 」の邸宅です。 和風建築を基調に洋間も取り込まれていて、 まさに見どころ満載(・ω・)v 1905年から1997年までは 高取家の居宅として現役だったようですが、 1996年県の重要文化財指定を機に 唐津市に寄贈されその後1998年に 国の重要文化財に指定されています。 唐津城の石垣がつづく一角にあり、 唐津湾を臨むロケーションに建つ。 ボランティアガイドさんが付いてくれて、 ほぼ40分くらいの説明を聞きながら、 ぐるっと見学させてもらいました。 内部の写真撮影はできませんでしたの、 パンフレットと絵葉書より… 座敷に組み込まれた「能舞台」 「中座敷」 「仏間」 ここかしこに京都円山四条派の絵師 水野香圃 (みずのこうほ) らの手による「杉戸絵」たち。 「福の神図」 「藤図」 大広間などの格式ある空間に描かれていたもので、 実は現存するものはきわめて珍しいそうで、 東京の旧岩崎久弥邸と京都の旧三井本邸に わずかに保存されている程度。 高取邸の杉戸絵はそれらに比べ、 当初の場所に非常に良好な状態で 保存されている点でとても貴重なものだとか... 襖ごとにデザインの異なる「 引手金具 」 そして 吉祥紋の「欄間」 の数々。 型抜きと浮き彫りを併用されていて、 浮かび上がる影も計算されているそうです。 そして、「二階大広間」からは 唐津湾が一望できるよう、 当時貴重な板ガラスがぐるりと取り囲む。 1918年(大正7)に増築された アールヌーボー調の洋間 。 漆喰天井からはシャンデリアが下がり、 紙貼りの壁、上げ下げ窓、 絨毯敷きの室内には石炭暖炉が設えている。 外観は改めて紹介します。 「 旧高取家住宅 」 建築年:1904年(明治37) 構造:木造2階建て、桟瓦葺 設計:不明 所在地:唐津市北城内5-40 【国・重要文化財】 参考文献:「旧高取邸 パンフ

よかとぴあへ(・ω・)v

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週末は博多でよか時間を過ごしました。 鷹にVV言わされずに!! 行った土曜日はドローやったけども... 鷹軍団に可愛がられたり (・∀・) そんでもって 天神の屋台 を楽しんだり! 屋台は2003年の内弁慶シリーズ以来、 たまたまヤフドのバス停で後ろに並んでいた 富山からの虎党の方と意気投合しまして... 昨年逝った先輩の墓参りも兼ねての、 博多訪問やったんですけども、 いつも底抜けに明るい先輩のお陰で、 楽しい博多の夜を楽しむことができました。 で・・・ 日曜日は「唐津」に足を伸ばして来ました。 唐津城 とか~~ 唐津くんち … そして赤レンガの「 旧唐津銀行本店 」 炭鉱王の豪邸「 高取邸 」 大満喫の週末でした!ほんによかばい! ハマの洋館が紹介しきれてないのですが、 またのお楽しみに (・ω・)v

横浜・山手西洋館をあるく ブラフ18番館

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山手西洋館のなかでなぜか ここだけが「 ブラフ 」と名乗る。 山手が外国人居留地だった頃、この高台は 「 Bluff (ブラフ) = 切り立った岬 」と 呼ばれていたのがその理由らしい。 山手45番地にあったオーストラリア人貿易商 バウデン氏の住居が関東大震災で被災。 建物は倒壊や火災を逃れた部材を転用して、 バウデン氏がこの地に再建したもの。 赤褐色のフランス瓦 の屋根に 上げ下げ窓に 緑の鎧戸 (よろいど) 。 「 ベイ・ウインドウ 」 と呼ばれる張り出し窓は、 イギリス中世の邸宅で発達したもので、 幕末の頃 居留地建築とともに伝ってきた。 戦後は天主公教横浜地区の所有となり、 カトリック山手教会の司祭館 として 1991年まで使用されていたらしい。 内装の床材は米松 (べいまつ) で、 壁と天井は純白の漆喰仕上げ、 ペーパーミントグリーン が爽やか。 内部は震災復興期の外国人住宅の暮らしを再現し、 当時の 横浜家具 によってその雰囲気が創られていた。 サンルーム側にファンライトつきのガラス扉、 そして南側にも大きな窓がつく。 サンルームはさらに日だまり。 1階のダイニングルームは上げ下げ窓が3つ連なる。 昭和初期の洋館「 旧バーナード邸 」で 使われていたものだそうだ。 階段ホールの親柱...そして2階へ。 談話室にも爽やかな風が吹き抜ける。 横浜市公開西洋館7館の絵葉書「 ブラフ18番館 」 「 ブラフ18番館 」 バウデン邸(山手町45)→ カトリック山手教会司祭館→ 建築年:大正末期 移築年:1993年 構造:木造2階建て 設計:不詳 所在地:横浜市中区山手町18・イタリア山庭園内 【横浜市認定歴史的建造物】 横浜の歴史的建造物ポストカード 「ブラフ18番館」 ※建物名をクリックすると グーグルマップ「 虎次郎の横浜洋館まっぷ 」が見れます。

横浜・山手西洋館をあるく 内田定槌邸

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1910年に東京渋谷の南平台に建てられた、 外交官であった 内田定槌 (さだつち) の私邸は、 立教学校の教師として来日、 のちに立教大学の校長を務めたことのある、 異色のアメリカ人建築家 J.M.ガーディナー の設計。 天然スレート葺きに下見板張りの壁、 「 山手68番館 」からかなりの距離があったので、 見つけた時はホッとした気分に包まれた。 もともとは和館も併設されていたようだが、 建物の老朽化が著しく、 1972年 (昭和47) に取り壊されていたものの、 所有者であった内田定槌令孫の何とか後世に この建物を残したいという気持に、 近代建築研究者であった 陣内定信 氏が応えたかたちで、 1997年にここ移築復元されたものだという。 現在は付属棟の喫茶コーナーとの接合部に 和館の一部が復元されていた。 玄関(外観) 内田家の家紋「丸に剣三つ柏」 2階主寝室 大きな上げ下げ窓の手前に サンポーチ 風のスペース、 左手の扉の奥には 八角形の塔屋部分 の小部屋。 そこにはかつて化粧台が置かれていて、 夫人のくつろぎの空間であったようだ。 食堂 階段部分の手すりと親柱。 内扉には アール・ヌーボー風 のステンドグラス。 北東面のガーデンから見ると 「とんがり帽子」の塔屋、 外観は アメリカンビクトリア様式 だとか… 横浜市公開西洋館7館の絵葉書「 外交官の家 」 「 内田定槌邸 」 →外交官の家 建築年:1910年(明治43) 構造:木造2階建て 設計:J.M.ガーディナー 所在地:横浜市中区山手町18・イタリア山庭園内 【国・重要文化財】 横浜の歴史的建造物ポストカード 「外交官の家」 ※建物名をクリックすると グーグルマップ「 虎次郎の横浜洋館まっぷ 」が見れます。