日本はきもの博物館「下駄づくり」編

日本はきもの博物館」ってのは、
日本で唯一の履物専門博物館なのだが、
この福山の地にコアなミュージアムがあるのは、
下駄は桐下駄」という概念をうちやぶって、
量産のきっかけを作った 丸山茂助 さんの
    工場が立っていたからである。




















桐に似た「アブラギ」って雑木を
利用したのは
この辺の地域が、
江戸初期から塩田が広がっていて、
その製塩用燃料として「アブラギ」が
使われていたからだそうです。





















3号館の「塩づくりと下駄づくり 」には、
コーナーには「福山城」にもあった
製塩関係の資料が並んでいる。
















「アブラギ」は山陰地方に産する
雑木で軽くて加工しやすかった。

そこに新たに開発した糸鋸機の導入が
庶民の下駄を広めることになったとのこと。














角を丸く削る機械とか…
















鼻緒の孔を開ける機械とか…
関西と関東と微妙に位置が違うらしいです。

















機械化による大量生産でピークとなった
昭和30年代頃には
年間5千6百万足の生産を
     誇っていたのだと…
















そんな大衆下駄も、
さまざまな加工を施して
バリエーションを増やしていったようです。


















































敷地内には「職人長屋」が
 移築されていました。
















1910年代に建てられて、
土地の人々は丸山長屋とよばれていて
60軒以上立ち並んでいたそうです。


















仕上げ工たちはここに住んで、
工場から半製品を受けとって
完成品に仕上げていたそうです。































見ごたえたっぷりの
日本はきもの博物館」レポはまだ続きます。


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