広島の洋館をあるく 世界平和記念聖堂

広島の試合はデーゲームだったので、
あまり昼間にウロウロできない・・・
それでもちょこッと観光してきた。

戦後建築で国の重要文化財に
最初に指定されたのが広島に二つある。
一つが原爆ドームにほど近い
  
「広島平和記念資料館」

もうひとつが1954年に建てられた
平和の祈りの場世界平和記念聖堂
中区幟町(のぼりちょう)という
市街地の中にその静寂さを作り出していた。

















中国地方におけるカトリック教会の拠点で、
被爆者であるドイツ人司祭
フーゴー・ラサール神父の熱意と
広島市民と世界各地の支援により、
戦争犠牲者と世界平和を祈念した聖堂。

胸像は第264代ローマ教皇
  ヨハネ・パウロ二世


















日曜日の礼拝の日だったのだが、
ボランティアガイドの人に
   親切にしていただいた。
「礼拝が始まる前でしたら
    カメラ大丈夫ですよ」
と。

















重文指定の文科省の評価にこうあった。
丹下健三氏が設計した
   「広島平和記念資料館」は、
「国際的に高い評価を受けた
     最初の戦後建築である」。


そして「世界平和記念聖堂」には、
「日本的性格と記念建築の荘厳さを備えつつ、
 新しい時代に適応した宗教建築を実現した」
 とちょっと予習していたのだが・・・


ボランティアガイドさんから、
そこかしこの「日本らしさ」を教えてもらう。

















鳥居」のようなくぐり門に「参道」が続く。


















そして聖堂の前には
輪橋(そりはし)」を思わせる橋がかかる。
かつては水が流れていたのだという。

玄関前を見上げると「格子天井」

















“ 欄間 ” に通ずるファサードを飾る彫刻

















「ゆるしの秘跡」
 十字架に磔にされた
 主イエス・キリストの前に、
 頭を低くたれ、腕で胸を打ちながら、
 ひざまずいている人の姿が刻まれている。
















「病者の塗油の秘跡」 

 中央に「壺」が、
 左側に「ストラ」が掛けられた「十字架」、
 右側に百合の花が浮き彫りにされている。
 周囲には、星空が飾られている。

















「結婚の秘跡」
 十字架のついた「ハート」が浮き彫り。
 「ハート」の中には、
 二つの「指輪」が描かれている。
 祝福のしるしとして周囲に
 「花輪」がアレンジされてる。



これらは
広島県出身の彫刻家である
円鍔 勝三(えんつば かつぞう)氏の手によるもので、
横断幕がかかっていたので全ては見れなかったが、
旧約聖書の
七つの秘跡が表されているそうだ。


設計は村野藤吾氏 ・・・
だがもともとは設計コンペがおこなわれ、
審査員であった村野の案に落ち着くまで
    紆余曲折があったようだ。
















1等が該当なし・・・・
2等は「広島平和記念資料館」
設計者である丹下健三なのだったのだが、
彼のモダニズムの表現に
イエズス会側
から難色が示されたのだという。
















ヒューマンスケールからの脱出
目指していた丹下の手法に距離を置いたのは、
脱ヒューマンスケールへの危惧からともいう。

聖堂に近寄ってみると、
煉瓦目地の仕上げはわざと粗くされていて、
     “人の手”を感じさせる。

太田川の川砂を利用した
レンガブロックの上部を荒く盛り、
下部を丁寧に仕上げている。
目地の荒っぽさは村野直々の指示だったという。




















雨が壁面を伝うときにレンガ同士の
継ぎ目を流れるようにさせて、
側面をできるだけ濡らさないようにするもので、
建物をまもる工夫なんだそうだ。


















聖堂に入ると正面に
「再臨のキリスト」のモザイク画。

































そして中央の通路にはマンホールの蓋が三つ。
  「信」 「望」 「愛」






























聖堂内の意匠にも日本的なものがある。
   松 ・ 竹 ・ 梅

正面のステンドグラスは「梅」

















側面の上方には「松」「竹」























照明笠の飾りは「蓮」
日本の仏教会からの寄贈によるもの。
































竣工当初は透明なガラスだったようだが、
その後 ステンドガラスも寄付によるものだ。





















































正面の鉄扉のデザインもここかしこに
みどころが満載だった!

















ガウディのようでもあり・・・

















角のついたヤツ 鬼みたいのもいた・・・

















最後にもう一つの日本らしいもの・・・
内陣ドームの上に舞い降りた「鳳凰」
地球儀を象った球の上に乗っているのが
      望遠だとわかった。

着工当初は十字架を
載せる予定だったのだが、
あの宇治の
平等院の鳳凰
参考にして作られたという。



















一発の原子爆弾によって
なにもかも失われた
ヒロシマ がよみがえった。

ただなんのめぐり合わせか、
60年たった年にあらたな被曝が
同じ国で起きてしまった・・・・
フェニックスの仕事はまだ多くありそうだ。




















※この記事は

 
BOOSUKAさんのぷらぷら日記
 カトリック幟町教会 世界平和記念聖堂 のHPを
    参考にさせてもらいました。

















 ぷらぷら日記.16 「世界平和記念聖堂」編





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