みちのく遠征 その9 松島の島々

「天橋立」「宮島」は
何度も行ったけど
「松島」は初めて
日本三景をコンプリート!!

















そもそも日本三景とは
江戸時代のはじめに、
全国を行脚した儒学者の
林春斎 という人が 『日本国事跡考』 で
卓越した三つの景観としたのが
      始まりだとか・・・・






















天橋立にも同じ碑文があるそうだが、
「松島、此島之外有小島若干、
 殆如盆池月波之景、境致之佳興、
 丹後天橋立、安芸厳島為三処奇観」


松島湾内に点在する島々が
クッションとなって、
大津波の勢いを弱めたともいわれています。
2ヶ月以上の月日に多くの人の手で
泥は瓦礫が払われGW前の4月末日から、
松島島巡り観光船が復活していると聞き、
ぜひとも
松島巡りしようと思い。。。


















「松島海岸レストハウス」は損傷が激しく、
仮設のプレハブで発券・・・
せっかくなので塩釜までのコースを選択!

















桟橋につながる「はやぶさ号」・・・
「丸文松島汽船」の遊覧船は
水深2メートルの浅瀬を通れるので、
この航路ならではの島々が楽しめる。

















実はこの「はやぶさ号」
一時期 船が無くて困っていた
気仙沼と大島を結ぶ定期航路の
オーエンに出ていたようで、
大活躍やったそうです。

そうそう・・・
東北新幹線でも
「はやぶさ」に乗りましたよ!

ニュー「はやぶさ」レポは改めて!!



「観瀾亭」

















もともとは豊臣秀吉
伏見桃山城にあった茶室。
伊達政宗がもらい受けたものを、
二代藩主忠宗
海路ここに移したとか。
江戸の藩邸にあった木も石も
配置を変えずに移築されたと伝わります。
「観瀾」とは、さざ波を観るという意。
















「はやぶさ号」から「観瀾亭」を観る。


霧雨が降っているが、
水墨画の松島をみごとに演出!!



















自然の盆景を思わせる「双子島」
亀島、鯨島とも呼ばれているとか。
















伊達政宗がお気に入りの島「千貫島」
「あの島を余の館に運ぶ者あらば、
 銭千貫を遣わす」
    と言ったことにちなむ。
















こちらは
政宗が月見の宴を開いたと伝わる
「在城島」(ざいじょうじま)
「このように見渡す限りの視界なれば、
 落城の憂い無し」
独眼竜の月見スポットだった島。

















烏帽子兜に似ていることにより、
「兜島」と名付けられた島。
大津波の影響で
島上の松は倒れてしまったとか。

















手前に見えるのが「鎧島」
波頭のような独特の形をしているが、
実はこのようなカタチは風によるもの。
冬場の北西の方角から吹く風の仕業だとか。




















ちょうど中間点のところで塩釜からきた
「のぞみ号」とすれ違う。
東京で乗り継ぐのも「のぞみ」なんだが。
















4つの
洞門がある「鐘島」
大波が打ち寄せると、
鐘を打ったように聞こえるそうだ。
もともとは船上から4つの穴が
見通せたのだそうだが、
津波の影響がここにも見られた。


















こちらは仁王の像を思わせる島仁王島」
下の部分は
浸食が遅れていて、
頭部の泥板岩は横縞状に削れ、
やわらかい凝灰岩の中間部は侵食が激しい。
実は首のあたりを補強されていたため
津波を乗り切ったのだという。

















塩釜港に近づくと打ち上げられた船が、
損傷の激しい家屋も目に入って来る。
















航路で塩釜入り・・・・
マリンゲート塩釜に到着!!!
船内は虎次郎も含めて3人だった。

案内のアナウンスは舵を握りながら、
撮影スポットではゆっくり操舵して、
「撮れましたか」って聞いてくれたり。

降りるとき。。。
「タイガース勝つといいですね」って。
虎タオルがチェックされていたんだな。

いつか青空の松島も楽しみたいと。

















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