洋館をたずねて 広島県産業奨励館

大正4 年に建てられた
「広島県産業奨励館」は、
ウィーン分離派芸術の流れを汲んだ
当時の最新のデザインが詰まっていて、
広島の街のシンボル的な存在でした。

予期せぬ事態に見舞われて
「平和」の世界のモニュメントに。















 漫画「はだしのゲン」の原画 ハガキより


広島県立美術館で行われている
「廣島から広島
 ドームが見つめ続けた街展」とともに

「原爆ドーム」にも改めて足を運んできました。
















呉高専の建築学科の学生ら
6人が4カ月かけて制作した、
10分の1スケールの
「産業奨励館」
の展示では、
当時の街の活気も復原されていました。
















産業奨励館は、1915年(大正4年)に
チェコの建築家のヤン・レツルが設計したもの。
県内の物産や商工業の振興 のメッカとして、
博覧会や美術展などの文化施設でした。





































今年7月に元安川河岸から引き上げられた
バルコニーの手すりの一 部の石柱。
意外と「原爆ドーム」周辺の調査って
行われていなかったということなんですね。

「広島県産業奨励館」は
ネオ・バロック的な骨格に、
ゼツェシオン風の細部装飾を持つ
混成様式がもちいられていたそうです。
門司港レトロ
「旧門司税関」や「商船三井ビル」なんかも
ゼツェシオン風 がもちいられているものです。

意匠の簡略化を目指したツクリの細部装飾、
フェンス越しに感じられるのが
このアプローチの上部にある渦巻の装飾

















原爆ドームの真上で
炸裂したように思われていますが、
実は目標とはされたけれども実際は
相生橋よりやや東南にある「島病院」上空
高度約600メートルで炸裂しました。

反対側の位置していた部分であったので、
装飾がかろうじて今に伝わります。
















実は「原爆ドーム」は
「ほぼ全壊」であるからこそ、
モニュメントとしての意味が
持ちつづけられるモノ。
地震等によりいつ倒壊しても
おかしくない状況にあります。

保存にはお金がかかるということで、
この展覧会の入場料の一部は
広島市原爆ドーム保存事業基金
寄付されるのだそうです。




















被爆65年企画
「廣島から広島 ドームが見つめ続けた街」展
 9月20日(月・祝)まで
 広島県立美術館(広島市中区上幟町)  
 休館日/月曜日(9月20日は開館)
 入館料/一般1,000円(800円)
     高・大学生600円(400円)
小・中学生無料

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