福岡をゆく 門司港レトロ

夜にしか訪れたことのなかった
「門司港レトロ」・・・

















福岡入りする夜行バスの最終休憩地壇ノ浦SA、
朝ぼらけのなか「門司港タワー」が見えた。
正確には 黒川紀章 氏設計の高層マンション
「レトロハイマート」の31階に展望室がある。

















日清日露戦争を契機に軍需品や
兵士たちを送り出す重要な港であった「門司」
太平洋戦争が終わるまでは神戸、横浜とならんで、
日本三大港の一つとして数えられていた。
大商社や銀行が門司に支店を出すことは、
今で言えば上海に進出することのようなものか。
















門司港のランドマークが「旧大阪商船」
1917年に建てられたもので、
一階は待合室・二階はオフィスとして
使われていたようだ。
高さ27mの八角形の塔屋は飾りではなく、
明かりが灯され灯台の役割も担っていた。

設計は大阪建築士の草分け的存在である
河合幾次 氏の手によるもので、
辰野式の流れを組んでいる建物で、
辰野式フリークラシックの
セッション化??
なんだとか。

2階には『ハートカクテル』で有名な
「わたせせいぞうと海のギャラリー」があった。
門司港レトロのいろんなところには、
わたせせいぞう さんのイラストが描かれた
看板が設置されている。


















わたせせいぞう さんは、神戸市生まれ、
生後まもなく北九州市小倉北区に移り、
高校までは北九州で過ごされていたのだそうだ。
















 「旧門司三井倶楽部」



中国大連との友好都市締結15周年を
記念して1979年にロシア帝国が1902年に
大連市に建築した東清鉄道汽船事務所を
複製建築したのが「国際友好記念図書館」
レトロではないが「門司港タワー」との、
コントラストが目に映った。

















門司港レトロの玄関口「旧門司駅舎」は、
今も鹿児島本線の起点であるが、
関門トンネルが開通するまでの
九州の鉄道の玄関口はいまや

リタイヤーの色が漂う。
北端に行き止まりでまさに終着駅。
鉄ちゃんらは「盲腸線」なんて呼ぶそうだ。

















1914年に建てられた
九州で最も古い木造の駅舎。
駅としては全国で唯一
国の重要文化財に指定されている。

ネオ・ルネッサンス調の木造建築
で、
ドイツ人技師ヘルマン・ルムシュッテルの
監修の下に建てられたと言われている。

多くの駅で見られる正面口を
タクシー乗り場に占拠されていないので、
噴水でビショビチョになっている姿は、
ゆったりした時間を感じさせる。
「親和性豊かな情景」なんて呼ぶのかな?















大理石とタイルばりの洗面所は、
青銅製の手水鉢 や水洗式トイレに
当時のモダンさを今に伝えている。
















手水鉢の水呑処は駅開設からあるもので、
戦前の海外旅行帰国者をはじめ終戦後の
復員や引揚の人達に愛された存在。
門司上陸の安堵の思いで喉を潤したところから、
誰からともなく「帰り水」と言われるように
なったという逸話が残る。


門司に税関が置かれたのが1909年のこと、
1912年に建てられたのが「旧門司税関」


















第二次世界大戦での空襲を受けて損壊、
その後は倉庫になっていたのだが、
やがて屋根がなくなり2階が崩れ落ちて
廃墟と化していたそうだ。


そんなレンガの山を北九州市が
観光資産として目を付けたのが、
「門司港レトロめぐり、海峡めぐり推進事業」
















失われていた塔屋部分は
特注の赤煉瓦で積み上げ、
屋根と瓦葺きを支える木組は
改修時に新調され、
2004年に今の姿を取り戻した。
















ただ「門司港レトロ事業」には、
こんな意見もあるそうだ。

「門司港レトロ」から不要の烙印を押された

「冴えないレトロ」が根こそぎ撤去され、
隙間だらけになり、息づかいが途絶え、
生活臭さが消えて懐古趣味が横たわる。















 

 「旧明治屋門司支店」レリーフ



「密集地にあるべき建物が周囲をなぎ払い、
 街の匂いが消えた。
 これは大正レトロテーマパーク」だと。

日の高いときに久々に訪れた門司港。
下たる汗を拭いながら〜

時間軸をもういちど振り戻す試みって
本当に難しいことなんだなぁ〜と。





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