虎の永久欠番たち

縦60センチ、横120センチ
ブロンズ製の虎の永久欠番の記念レリーフ
「ミズノ・スクエア」へ続くレンガの壁に
はめ込まれていた。


















「10」 藤村富美男 さん
 強虎の礎となった
「ミスタータイガース」  

















「11」 村山実 さん
 反骨精神で挑み続けた「炎のエース」

















「23」
吉田義男 さん
 ダイヤモンドを華麗に舞った「今牛若丸」

















実はこの永久欠番
は1988年に
讀売の監督を退任した王貞治さんの
「1」が最後となっているそうだ。



3選手の永久欠番のレリーフには、
なぜか一枚分の残りスペースがある。
その永久欠番のゾーンの手前には、
選手たちのカラー写真のボードが並ぶ。
それぞれお気に入りの選手との
ツー ショットに興じていたが、
この「空白」を誰が埋めるのか楽しみである。
















比類なき勲章、栄光の数字「永久欠番」

 さまざまなスポーツ界において、
 その道で類稀なる偉大な成績を残した選手を称え、
 その栄誉と功績を後世にまで伝承させるために、
 その背番号を欠番扱いとする制度。
 メジャーリーグで初めて制定した
 ニューヨーク・ヤンキースでは1939年、
 第1号となったルー・ゲーリック内野手の「4」に始まり、
 ベーブ・ルースの「3」、ジョー・ディマジオ「5」ら、
 錚々たる名前が並んでいる。

 日本のプロ野球においては1947年、
 巨人の沢村栄治投手の「14」が第1号。
 そしてタイガースでは1958年11月30日、
 この年限りで現役を引退した
 藤村富美男選手の背番号「10」が、
 球団史上初めての永久欠番となった。
 以降、1972年の現役引退と同時に
 村山実投手の「11」が栄光の数字となり、
 吉田義男選手の「23」は彼の現役以降、
 その背番号を付けるにふさわしい選手が誰一人現れず、
 その後監督としてタイガースを初めて日本一に導いた翌々年、
 1987年に3番目の永久欠番になっている。

    

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