商業の町に一橋の神??

天満橋って「かさね橋」になっています。
このかたちになったのは昭和45年。













もともとは
高欄擬宝珠
 (こうらんぎぼし)の橋。

幕府が直接管理の
「公儀橋」
 だったそうです。
こちらは鎌倉の
鶴岡八幡宮もの。




「公儀橋」は江戸時代の大阪は12橋。
なにわの三大橋といわれるのほか、
旧大和川に架かる「京橋」、「鴫野橋」、
鯰江川の「野田橋」、「備前島橋」、
東横堀川の「高麗橋」、「本町橋」、「農人橋」、
道頓堀川の「日本橋」、長堀川の「長堀橋」の12。
大坂は八百八橋といわれるが、
あくまで多いということ実際は200くらい。
あとは「町橋」で、有力な商人や橋に近接している町々が
分担して費用を捻出し、架橋・維持管理していたそうである。
江戸にくらべ町橋が圧倒的に多かったのが
大坂の町の特長でもあり庶民が支える町だった。


「かさね橋」となった昭和45年は
大阪万国博覧会が 開催された年。
橋の左岸側には山中靖三氏作「如春」の像があります。
山中氏は近代大阪の彫刻界のパイオニア、
本像は和の情緒を堅実な人体造形に内包させていると、
美術書なんかでは解説されています。















実はこないだ天満橋のOMM
大阪マーチャンダイズ・マートビルで研修会があり、
昼休みの合間にウロウロと。。
OMMビルの前にあるのが同ビル3周年を
記念して設置された「GOD MERCURY」
イタリア・ルネッサンス期の
ジャンボローニャが原作のものを、
2倍にしたもので商業神のマーキュリーです。
商売の町の象徴として建物とマッチしています。





















マーキュリーが左手に持つの杖には、
2匹の蛇が巻き付き、
頂には羽ばたく翼が付いてるそうです。
蛇は英知をあらわし、
蛇のように聡く世界の動きに敏感であることを、
また翼は世界に天翔け
  五大州に雄飛することを意味します。




実はこのマーキュリーを校章にする
国立大学法人が東京にあります。
1949年に創立の「一橋大学」です。


もともとは森有礼が
1875年に開いた私塾が源流で

「商法講習所」というルーツから、
「東京商業学校」そして「高等商業学校」。。
「東京商科大学」「東京産業大学」
 そして再び「東京商科大学」という歴史を刻んでいます。

現在の「一橋」という名は、
1949年学制改革に伴って
新制大学へ移行したとき、
学生の投票によって決めたもの。

「学生の自由を重んじる校風をもっている」
       と言われています。
東京都千代田区の一ツ橋にあったことが
       その名の由来です。




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