『小岩井農場』恋と宗教のはざま。。。

「もしも正しいねがひに燃えて
 じぶんとひとと万象といつしょに
 至上福祉にいたらうとする
 それをある宗教情操とするならば
 そのねがひから砕けまたは疲れ
 じぶんとそれからたつたも
 ひとつのたましひと
 完全そして永久にどこまでも
 いつしょに行かうとする
 この変態を恋愛といふ
 そしてどこまでもその方向では
 決して求め得られない
 その恋愛の本質的な部分を
 むりにもごまかし求め得やうとする
 この傾向を性慾といふ


ちょっと訳の分からん文章ですし、
なしてこんなフレーズをと思われるかも。
この文章は 宮沢 賢治 『春と修羅』
収められた長編詩「小岩井農場」の一節です。


「恋愛関係」を持つ生物は人間だけである。
それだけの解説に留めておいた方が、
頭が痛くなることはないと思います。





















小岩井農場って中学の修学旅行に行ったことがあります。
こんな大自然のなかで宮沢賢治って、
そんなムズカしいことを考えていたなんて、

当時は面白いちょっとけったいな童話とやらを
書く人だとしか思っていませんでした。
この年になってあらためて、
賢治にふれる機会があって、、
ふーんと感ずること多し。

そう言えばこないだ。。
恋はシタゴコロ、
愛はナカゴコロ
という
コトバを聞く機会がありました。



恋愛ってなんなんでしょう。
ちょっと寒いから変な感じです。

すぐなおりますし。。
なんじゃそりゃ(・ω・)v



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