「タイムマシンと歴史学は同じ」???

「二十世紀は「理論の時代」で
 「理論に従っていればなんとかなる」と
 考えられていました。
 登場する「新しい理論」は、その登場のたびに 
 「古いもの」を切り捨てる昇格名の要素を持っていて、
 時代はその「理論」を置き石にして、
 ケンケン跳びで進んできたのです。
 その明るく楽しい「進歩」は、
 「なんでも捨ててしまう革命の時代」を
 そのままカジュアル化したようなものなのです。」

今年の6月に読んだ橋本治さん
『日本の行く道』

 日本の歴史、20世紀の姿を綴った一節です。








カジュアル化したという評し方は、
おそらく
橋本治さん独特の言い回しで、
この本を読み返さないとその本意を辿ることは、
難しいかも知れません。


「改革」ということばは、いつも新しく。
体制を維持し続けたヒトがその変容をアピールするために
使い捨て続けられたようにも感じます。


歴史に
「もしも」禁物だし、
でも歴史は繰り返されます。




虎次郎の好きなもの「歴史」「美術」「映画」
 そして「野球」。。。

平和なときしか楽しめないものばかり、、
実は虎次郎の大学の専攻は歴史学とはいわず、
「文化史学」といいました。


なんでこんな話になったかというと、、
実は虎次郎も mixi をやっていまして、
いろいろと探るうちに大学の専攻のコミュに行きつきました。
近頃の大学は学科名や学部名がコロコロ変わることが多く、
いままでの専攻名の方がいいんじゃないの?って思うことも
しばしば、、、時代にあったことをするのも大学のツトメとも
思う半分 流行に流されて本質を失っているのでは?と
感じ入ることもあります。

ただ 
「文化史学」は今も健在!!ということで、、、
昔の自分が書いた卒論を見直したり、するうちに。。

で、、、話をもとに戻して行きます。。。。


いわゆる帝大系の国史学とは一線を画する、
歴史へのアプローチについて学んでいたと。
当時の学生にもそして教授陣にもそのような気概があり、
政治史を取り扱っても
政治の一ページがどのような分岐点を描いたのか?
友人の卒論にもそんな切り口が見えました。


歴史に限らず人生も選択肢、
いわゆるフローチャートの辿り方によって変わります。
ただ「たら」とか「もしも」と振り返ることがあっても、
選択しなかったことはタイムマシンでも変えることができない。

実はドラえもんの「タイムマシン」
映画で時代を遡るについてもすでに終わったことを、
変えることはタブーとされていることがほとんどです。

見に行くことができても過去の変更はできない。
極端な言い方をすれば、
「タイムマシンと歴史学は同じ」
   ことなのかもしれませんね。



もう少しましだったかも知れないと別の選択が
必要であったとするならば、
その時とはちがう選択ができる新たなトキ
「唯一の選択」ができるよう臨まなければなりません。


 

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