江戸の「柏餅」上方の「ちまき」

端午には
「柏餅を製するは稀なり。
 すべて茅巻(ちまき)を用ゆ。」


これは 大坂町奉行として江戸から
赴任してきた 久須美 祐雋(くすみ すけとし)という
 人が書いた『浪速の風』の一節です。

江戸の出身の役人でしたので舌は
江戸モノやったんでしょうか???

大阪の食い物で特にま ずいのが そば であり、
「江戸人には食えたものではない」
      という記述もあるようです。

『浪速の風』は1856年の随筆ですが、
同じ頃に書かれた『守貞漫稿』(1853)には、

   柏餅 の作り方が書かれています。








 









白須賀
(しらすか)  二川(ふたかわ)へ二里半  
 画狂人北斎(葛飾北斎)画
 文化元年(1804)正月 味の素食の文化センター所蔵


「米の粉をねりて、円形扁平となし、二つ折りとなし、
 間に砂糖入り赤豆餡(あずきあん)を挟み、
 柏葉、大な るは一枚を二つ折りにしてこれを包み、
 小なるは二枚をもって包み蒸す。
 江戸にては、砂糖入り味噌をも餡にかへ交るなり。
 赤豆餡には柏葉表を出し、
 味噌には 裡(うら)を出して標(しるし)とす。」

カシワの葉は新芽が育つまでは古い葉が落ちません。
子孫繁栄 = 家系が途切れない という縁起かつぎ。。
武家社会の江戸で愛されたことが分かります。


神社にお参りするとき 柏手を打ちます。
古代より神への供え物は柏の葉にのせていましたし、
と神とのつながりは多くあります。
「かしわ餅」がハレの食べ物であることを示しています。


柏紋という家紋がありますが、
もともとは神社に仕えた神官のもので、
現在、を 神紋としている神社が多くあります。

大名の紋として代表的なのは、
土佐山内氏「丸に三つ柏」ですね。。。
こちらの絵は大阪の祭りの一場面を描いたもの。
大正時代に描かれた 島成園 さんの

『祭りのよそおい』です。
「丸に三つ柏」の陣幕が見えます。

虎次郎は昨日は「ちまき」
 今日は「かしわ餅」を食べました!!
端午の節句に限らず
「かしわ餅」大の好物です!
   (・ω・)v(・ω・)v













  島成園(1892-1970)

  『祭りのよそおい』  1913年(大正2年)

島成園(しま せいえん、1893年 - 1970年)
 大正~昭和初期の個性派女流日本画家。大阪府堺市生まれ。



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