祇園山鉾を歩く(5)油天神山 – 秦家

油小路通にあるところから

「油天神山」
  と呼ばれています。















勧請の日が 丑の日 だったため、
「牛天神山(うしてんじんやま)とも呼ばれるのだとか。

この「油天神山」の町家が「秦家住宅」です。
現在の建物は 蛤御門の変(1864)と
 呼ばれた大火で焼失後、明治2年に再建されたもの。

「表屋造り」と呼ばれる店舗・住居・土蔵を
 二つの庭がつなぐ典型 的な京町家です。























「ヒヤ、ヒヤ、ヒヤの、ひや・きおーがん」
    
でおなじみ
樋屋奇応丸とも繋がりがあるのでしょうか??
「奇應丸」の看板がとても印象的な建物です。










実はこの秦家住宅
虎次郎

ボランティア登録している
大阪くらしの今昔館
8階の町家にある薬屋さんの
モデルなんです。

「奇應丸」の看板の代わりに
今昔館
では「ウルヱス」


看板の
 大きさも同じ
だそうです。

←「大阪くらしの今昔館」HPへ





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初代忠兵衛が奇応丸を創製した
元和8年(西暦1622年)にさかのぼる製薬会社。
大阪・天満で天災や戦災を克服して現在いたる。

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