SHINJYO こそ虎のプリンス! リンクを取得 Facebook Twitter Pinterest メール 他のアプリ 投稿者: 虎次郎 - 6月 19, 2006 新庄 剛志!! やっぱり虎のプリンスやと思います。金本!ツーラン 気持ちのいいゲームでした!! 井川も藤川もウィリアムスも 快調でした!!最後は「PL 青学 東芝 阪神 つぼ〜い」の 坪井智哉も登場!! なかなかええ試合やったのー。。 余は満足じゃ!! リンクを取得 Facebook Twitter Pinterest メール 他のアプリ
万博のユニフォーム 投稿者: 虎次郎 - 7月 03, 2010 EXPOカフェのコミュでツイッターの おつきあいをさせている方 が、 「EXPO'7Oパビリオン」ホステスの ユニフォームの図鑑を発刊されました。 『日本万国博覧会 パビリオン制服図鑑』 大橋博之編著(河出書房新社) ¥ 1,680 せっかくなので EXPOカフェでゲット。 EXPOカフェのオリジナルの ブックマーカー 。 虎次郎が引き抜いたのはコレです。 とってもオシャレなアイテムです。 実はブックマーカーには、 シークレットアイテムがあって。。。 館長からウインクしているのを 見せてもらいました。 「未来から舞い降りたビーナス!!」たちのなかで 虎次郎がお気に入りなのは、 サンヨー館のホステスさん。 サ ンヨーの企業カラーは、 実は青色だったそうだが、 黄色が選ばれた。 白色のベレー帽、 ショルダーバック、手袋に 白色のラインがアクセントを 添えている。。 この時代のデザインは実にオモシロい。 EXPO'70パビリオンにある復元展示と 連動させた「ビジュアルムック」。 ピクトグラム が登場したこの時代は、 過去のものとは思えない。 過去から来た 未来のファッションショー のようです。 「制服といえばなんとなく決められた服を 強制的に着せられるものというイメージがある。 ユニフォームとは、 ユニは一つ、フォームは形で、 皆同じ形でと統一されるという意味があり、 統一の美を表現しなければならないわけだ。 一人の人が着ていていかに美しくとも、 百人集まったら複雑でみられないというのでは、 ユニフォームの真の立場からはずれているのだ」 これは日本万国博協会で デザイン顧問として活躍された 田中千代 さんの 「万博ユニフォームについて」にあることばの一節。 シンプル+スマート+チャーミング な女性たちが 大阪の未来都市を闊歩していた時代を感じるには おススメの一冊のである。 昼食をすませていたのでEXPOカフェでは ケーキセットをオーダー。 クリームチーズケーキ がとっても美味。 ブルーベーリーホイップとアイスクリームが 添えられていた。 EXPOカフェはギャラリーとしても 使われているのだが、 カフェの壁を飾っていたのは 内橋未央 さんの 「time travel at EXPO CAFE」。 197 続きを読む
2015あけおめ!! 投稿者: 虎次郎 - 1月 01, 2015 今年のマニフェスト 1.ココロの優しい美女に出逢ふ 2.歳男 無事これ名馬なり 3.阪神タイガース日本一 4.すべての人に幸あれ ちなみに…昨年の事業報告をば。 1.スタジアム巡りを完結させる 西武ドームに乗り込み叶わず。 虎観戦は2014年はこんな成績でした。 25勝17敗0分3中止 勝率5割9分5厘 地方遠征は草薙、広島、横浜、 そして屈辱の福岡 2.三陸に行ってみる 東北には行けなかったけど… いろんなことに行きましたし、 地元のお酒も楽しみました。 3.映画を10本 新書を20冊 映画は4本、新書は10冊。 達成度悪すぎました(TдT) すでにFacebookの奴隷になっております。 今年はライブを大事にいたします(._.)。 4.ココロとカラダを整える 扁桃腺がハレて62時間ダウンしたことが ありましたが…発熱はこの3日のみ。 2月にちょっとトラブルに見舞われたけど、 おおむね元気に過ごせました。 ココロの方は…というと。 そろそろ尖るのをヤメないと思うけど、 感情おしころしてなんて無理だから。 すこしは大人っちになれますように。 てなわけでハチャメチャな虎次郎を よろしゅ〜〜〜〜に(・ω・)v 続きを読む
神戸山の手をあるく〜旧ディスレフセン邸 投稿者: 虎次郎 - 6月 05, 2015 山本通三丁目に建つ 旧 ディスレフセン邸 。 1895年(明治28)に建築ですが、 現在は門兆鴻氏の邸宅として現役。 主屋と付属棟を結ぶ渡り廊下があり、 使用人部屋や厨房につながります。 小松益喜 さんが1970年に 「 渡り廊下のある異人館 」として、 描かれています。 小松益喜さんの 「 神戸異人館今昔 」によっても、 神戸の北野町、山本通り、 そして居留地にも現存していない 貴重な渡廊下のついたお家です。 旧ハンセル自邸と異趣を画すのは、 山本通に面した北側にも、 硝子戸立てのベランダ が 設えられているところでしょうか。 日本瓦葺となっていますが、 スティックワーク といわれる、 外壁に柱や梁を装飾による 切妻屋根が目を引きます。 左右非対称でありながらも、 切り妻屋根の組合わせが、 落ち着きなかにリズミカルさを 醸し出しているように思います。 色は戦時中に スイス人の ジーベルへクナ一 さんが 居宅としていたころがヨカッたそうで、 柱は深緑、下見板は灰色、 窓枠は深緑、鎧窓は黄緑だったとか。 個人の邸宅なので中を伺うことは できないのですが… やはり使われてるほうが おうち本来の姿ですもんね。 「 ディスレフセン邸 」 →門兆鴻邸 建築年:1885年(明治18) 構造:木造2階建 設計:A・N・ハンセン 続きを読む