2018年5月20日日曜日

熊本たてもの めぐりん⑨ 船場橋

「あんたがたどこさ 肥後さ
 肥後どこさ 熊本さ
 熊本どこさ せんばさ
 せんば山にはたぬきが居ってさ
 それを良士が鉄砲で撃ってさ
 煮ってさ 焼いてさ 食ってさ
 それを木の葉でちょいとかぶせ」

熊本のチン電 洗馬橋停留所
電車が近づくと、
誰でも口ずさめる
メロディーがのんびり響く。

商店主らによる
「肥後てまり唄顕彰会」が
1992年に建てたタヌキ親子。

ほど近い熊本中央郵便局前
ポストの上に立つ
せんば郵太」も。
5年前に落とし物の手袋が
はめられていたのキッカケで、
局員の人たちが着付けを
続けておられるそうです。

かつて物流の大動脈だった
坪井川の船着場として繁栄、
船場柳御門は熊本城下の南東、
船場橋から山崎町方面を監視する
関所門でした。



明治のころはこんな感じ…

橋には「船場橋」とあります。

タヌキに…



手毬のレリーフ

で・・・これは何??

エビのようです。
実は「肥後てまり歌」、
その二番はこんな歌詞。
「あんたがたどこさ 肥後さ
 肥後どこさ 熊本さ 熊本どこさ
 船場さ船場川にはえびさがおってさ 
 それを漁師が網さで捕ってさ 
 煮てさ 焼いてさ 食ってさ」
タヌキだけじゃ
なかったんですね。

この白いタヌキ
洗馬橋界隈の一番の古狸。

船場橋の近くの文林堂いう
画材屋さんの三代目
丹邉恭平さんが、
戦前に横浜の大学生だった頃、
地元に『あんたがたどこさ』を
「示すものがないのは残念」と、
自ら建てたものだそうです。
1959年9月9日のこと。

作者は東京美術学校出身の
彫刻家 西村虚空という人。
「目にはガラス瓶が埋め込まれていて、
中に電球が入っていて、
できた当初は目が光っていたそうです。
また小便小僧のように水が出ていて
水飲み場になっていました。」
今は目も光らず水も出ていませんが、
熊本の街を見守っているのです。



文林堂 外壁の詩碑
徳富蘆花作詞「船場川
「船場川 まちうらつゞき
 きさらぎの 雨ふり来れば
 紅白の梅はしたゞり
 柳はけぶる
 川面に立つや 雨あしの
 それよりしげき 思い出の
 うれし うれし ふるさとの雨」


ずっと
雨続きの熊本でしたが、
雨模様の街の姿も
良きものでした。

2018年5月16日水曜日

熊本たてもの めぐりん⑧ 熊本地方裁判所本館




熊本の赤レンガ…
1908年に建てられた
旧熊本地方裁判所本館」。
両翼に平屋建てを構える建物は、
今は中央部分のみの保存。
当初はコの字型だったそうです。

設計者は不明なのですが、
1897年に
最初の司法技師とになった
山下啓次郎という人が、
有力視されているそうです。



2階の窓ともにレンガに
白い石で装飾した3連アーチで、
イメージを統一しています。
いまは熊本地方裁判所資料館
憲法週間と団体事前予約に
公開が限られています。
正面部分のレンガは小口積み
1978年の新庁舎への建て替えで、
保存運動が起こって、
正面主塔のみが残されました。

レイトンブルーな屋根飾り、
実は屋根は反り屋根に。 

両翼の跡が今も残っています。
平屋の部分は、
縦長窓が並んでいたとか。


右手奥に見えるブロック積み
オレンジ系色の建物。

門衛所
その周りのツクリも特徴的。
実は裁判所に付属する
京町拘置支所」。
九州財務局の
「熊本市内の
   庁舎一件別リスト」
によると建築年次は、
1962年とあるから、
昭和な建物なのです。

2018年5月13日日曜日

熊本たてもの めぐりん⑦ 小泉八雲旧居


小泉八雲こと
ラフカディオ・ハーン。
八雲は、松江市に在住、
旧国名の出雲国にかかる
枕詞の「八雲立つに因んでいる。
1891年(明治24)年11月、
熊本大学の前身・第五高等中学校の
英語教師として島根から赴任。
以後 3年間を熊本の地に、
熊本に来て最初に住んだ家が
この家だそうです。



小泉八雲は、日本の地を踏み
節子と出会うことで作家として
成功することができたと言われる。

なかでも 『怪談』は、
彼女の存在なくしては
完成をみなかったと言われる。

人一倍感受性が鋭く、
感情の起伏も激しかった八雲。
心の安らぎと住まうべき場所が
節子さんだっと思われます。



毎朝拍手を打って拝んでた神棚
引越 当時は神棚がなかったそうで、
ハーンの注文で設けられたもの。

熊本地震後での、被害は激しく、
神棚は落下…
隣部屋の襖に鰹木
刺さっていたそうです。

復旧工事が完了したのは、
2017年10月6日のことです。





日本を世界に紹介した
知られぬ日本の面影
東の国から』の著書は、
熊本での生活から生み出されたもの。

五高の学生のことを、
こんな風に語っているそうです。

「わたくしが
 熊本の学生からうけた印象、
 これはさきにわたくしが
 出雲の生徒たちとはじめて近づきに
 なった時の印象にくらべると、
 だいぶそこに大きなひらきがあった。
(中略)ひとつには、かれらが、
 いわゆる九州かたぎなるものを、
 まるで正札でもつけたように、
 じつにはっきりと表示していた
 というせいが多分にあるのである。」
「九州の学生とともに」より…



「自分の行きたいところに行き、
 人と交わらず、
 誰にも決して面倒をかけない」。
人間関係のわずらわしさを
嫌いながらも、
世話にならなければ
生きられなかった彼が
求めた生き方だと…
そう感じさせる言葉です。